コリント人への手紙Ⅱ



赦しと祈りの手を
コリント第二 2:5-11
哀 歌   2:18-19
Ⅰ 一人の問題の人物が

 コリント第二書は五つの手紙の集合体という説がありますが、初めにそのことに触れておきましょう。これまで何度も「涙の手紙」に触れて来ましたが、この失われた第三の手紙は、本来、第一書と第二書の間に入るべきものでした。内容から見て、そんな失われた手紙が他にあったとしても、おかしくはありません。岩波訳は、その五つの手紙に、A~Eの記号をつけて第二書全体を構成していますので、紹介しましょう。〈A〉2:14-17、3:1-6:18、7:1-4、〈B〉10:1-13:13、〈C〉1:1-24、2:1-13、7:5-16、〈D〉8:1-24、〈E〉9:1-15の五つです。たとえこの説に問題があったとしても、パウロがコリント教会に何通もの手紙を書いていたことは事実ですから、これらは考慮に入れておいてもいいでしょう。ただ、それでも、パウロ自身がこれらを一巻の「コリント第二書」にまとめていますので、私たちも、そのように、これらを一巻の書物として聞くのがいいのではないでしょうか。

 さて、今パウロは、「涙の手紙」(五つの手紙の〈C〉)で触れた一つのことを、コリント教会の人たちと共有したいと願っています。2:4に「私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたい」とあります。先週、涙の手紙と第二書は彼らへのラブレターであると言いましたが、パウロの愛が向かうその先に、原文でも単数で描かれている、好き勝手をしていた「一人の問題の人物」が浮かび上がって来ます。この人のことでパウロは、「もし、ある人が悲しみのもとになったとすれば」(5)、また「もし私があなたがたを悲しませているのなら、私が悲しませているその人以外に、だれが私を喜ばせてくれるでしょうか」(2)と、ひどく心を痛めていました。

 その人は、「私(パウロ)を悲しませたというよりも、ある程度―というのは言い過ぎにならないためですが、―あなたがた全部を悲しませたのです」(5)とあるように、分裂分派の争いを激化させ、聖なる交わりである筈の愛餐を気ままな飲食会とし、教会を混乱に陥れていました。そこへパウロから「涙の手紙」が届き、これを持参したテトスなど何人かの人たちの奔走があって、教会は、この人を排除する方向へ動き出したのです。問題の多いコリント教会の人たちが、一人の問題の人物を裁く……、それはまるで「目くそ、鼻くそを笑う」のようですが、もしかしたら、彼らの「悪いものを悪い」としようとするそんなあり方が、パウロに、コリント教会にはまだ望みがある、と思わせたのかも知れません。しかし、その人をどう取り扱うのかは、コリント教会にとって、極めて重要な問題でした。


Ⅱ 赦しと慰めと愛を

 彼らは恐らく、教会として、「その人」の所業を問題にして処罰したのでしょう。「その人にとっては、すでに多数の人から受けたあの処罰で十分です」(6)とあります。「あの処罰」と聞いて、コリント教会の人たちは、それがどれほど大変なことであったかを思い出したのでしょう。「一人の人物」を巡って起こった問題は、それほどの大事件でした。しかし、彼の名前は明らかにされず、その所業も具体的には示されていませんので、それがどれほどのことだったのか現代の私たちには不明ですが―コリント第一書で「単数で描かれる個人」は、近親相姦(5:1)に走った人のケースですから、それを念頭に置いているのではと考える多くの註解者たちがいます―、教会の人たちは、コリントの市民社会の一員として、彼の所行を悪とし、その彼を排除(つまり、教会から排除)する動きに走っていたのでしょう。しかし彼は処罰後も教会に居続けましたから、その追求は、二段三段にも及んだのではないでしょうか。彼の排斥運動は、関わった人たちを震撼させるほど、厳しいものでした。

 現代の教会には、「聖餐停止」という教会戒規がありますが、その発端とも言えるこの大事件は、コリント教会の負い目として、教会自体をイエスさまを信じる信仰から遠ざけてしまいかねないものでした。ある註解者は、「一人の利己主義は、メンバーが相互に与え合う保護を傷つけ、それによって他者を危険に追いやる」(叢書新訳聖書神学「第二コリント書の神学」)と指摘しています。「処罰」とは、古いパン種を取り除くことで、これは大切なことですが、その中身をしっかり検討しておかなければ、裁かれる者だけでなく、裁く者たち全員を、「裁かれる者」として神さまの前に立たせてしまう恐れがあります。心しておかなければなりません。

 パウロは、正義を振りかざしたコリント教会の人たちに、「あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません」(7)と勧めました。非難に押しつぶされそうになっている「一人の人物」と同じように、神さまに裁かれかねないコリント教会の人たちの過激さを、パウロは心配していたのでしょう。「赦し」と「慰め」、これがイエスさまの教会の目指す方向であるとして、パウロは、「そこで私は、その人に対する愛を確認することを、あなたがたに勧めます」(8)と、あの「ラブレター」の続きとして、ここに、「愛」の勧めを発動したのです。厳しい教会戒規執行には、とりわけ、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)と言われた、「愛」が必要でした。


Ⅲ 赦しと祈りの手を

 パウロは、「私が手紙を書いたのは、あなたがたがすべてのことにおいて従順であるかどうかをためすためであったのです。もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私が赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません」(9-11)と、このフレーズを締め括りました。「あなたがたが従順であるかどうかをためすため」とあります。まるで専制者パウロに聞き従えと言っているように聞こえますが、これは、「しかり」と御父の計画に聞き従ったイエスさまに倣う信仰者としてのパウロの姿勢であって、「恵みの中に」「御霊に従って」歩めと言っているのです。その意味でこれは、「神の約束はことごとく、この方において、『しかり』となりました。それで私たちは、この方によって『アーメン』と言い、神に栄光を帰するのです。……」(1:20-24)と、パウロが前に言ったことの繰り返しなのです。強調すべきは、これは断じてコリント教会の人たちが依存していた世俗的意味での裁きではない、ということです。彼らが留意すべきは、イエスさまの愛における行動であり、それが「従順」ということの意味だったのです。

 ですから彼らは、どのように救い主と出会ったのかを、思い出す必要がありました。彼らはパウロから、イエスさまは「あなたの罪のために十字架に死んで下さった」と聞いて、そのイエスさまを、救い主と信じたのです。その罪の赦しなしに、愛に立つことは出来ず、人を赦すことも出来ないのです。ある意味で彼らは、そのことを忘れていました。ですからパウロは、「赦し」に的を絞って、「あなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が赦したことは、キリストの御前で赦したのです」と、繰り返しました。それは使徒としてのパウロの務めでしたが、彼らもまた、その同じところに立って欲しいと願ったのです。あなたがたがそこに立つなら、その人も悔い改めて、イエスさまのもとに帰って来ることが出来るではないか。けれども、もしあなたがたがそれから目をそらすなら、あなたがたの中からも、イエスさまの福音からはみ出し、サタンの餌食になる者が出て来るだろう……と。格別にサタンは、主の群れに敵対すべく、目を光らせているのですから(参考:使徒20:29)。現代は、殊更、そんな時代ではないでしょうか。

 預言者エレミヤの哀歌に「夜の間、夜の見張りが立つころから、立って大声で叫び、あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。主に向かって手を差し上げ、あなたの幼子たちのために祈れ。彼らは、あらゆる街頭で、飢えのために弱り果てている」(2:18-19)とあります。これは、バビロン軍によるエルサレム落城を目にして詠んだエレミヤの断片的な詩ですが、バビロン捕囚中に、別の預言者たちが編集したものと思われます。彼らはそこに、神さまの痛みや哀しみや怒りの凝縮を見たのでしょう。サタンが暗躍する現代というこの時代に、これでもかとばかりに、悩み、弱り、行き着く先を失った人々を、教会に迎え入れる日が必ず来るのです。教会を離れている人たちも、きっと教会に戻って来るでしょう。その時、その人たちを受け入れる基盤は、イエスさまの「赦し」と「愛」なのです。その人たちのために、エレミヤのように、主に向かって祈りの手を上げようではありませんか。


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