コリント人への手紙Ⅱ



永遠なる主の愛の中で
コリント第二 1:23-2:4
エレミヤ書    31:3-6
Ⅰ 神さまを証人に

 パウロは、コリントに戻ることを念頭に、マケドニヤに留まろうと思っていました。1:16には、「マケドニヤから再びあなたがたのところに帰り、あなたがたに送られてユダヤに行きたいと思った」とあります。ところが、コリント教会の状態はなかなか好転せず、しばらく冷却期間をおこうとエペソに戻り、そこで、失われた第三の手紙と呼ばれる「涙の手紙」を書いて、テトスに託しました。今朝のテキストでは、三回目のコリント訪問を前に、「涙の手紙」で伝えたことをもう一度記しながら、なぜそれが書かれなけらばならなかったかを、丁寧に説明しています。2:4に、「私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいから」とありますが、「涙の手紙」と「コリント第二書」は、パウロの思いがぎっしりと詰まった、ある意味でコリント教会の人たちへのラブレターなのです。

 パウロは、「私はこのいのちにかけ、神を証人にお呼びして言います。私がまだコリントへ行かないでいるのは、あなたがたに対する思いやりのためです」(23)と、このフレーズを書き始めます。もしコリント教会が、パウロが二度目の訪問で味わったようなひどい状況下にあり続けるなら、そのときには、「鞭と裁き」(コリント第一4:21参照)を持って行かなければならないが、それでは、パウロとの関係ばかりか、イエスさまの群れとして立つことも不可能な事態になると、その危険性を回避したのです。片手に鞭を持ってパウロは、まさに、神さまの権威の代理者、執行者、使徒として立っていました。もしパウロが、鞭を振るって神さまの裁きを行使したなら、多くの人たちが教会から追放され、コリント教会は消滅していたかも知れません。しかしそれは、パウロの望むところではありませんでした。恐らくパウロは、「専制者のように振る舞っている」と、自分の言動が誤解されていることを知っていて、そうした誤解を避けようとしたのでしょう。ですからパウロは、「私たちは、あなたがたの信仰を支配しようとする者ではない」(24)と弁明し、「あなたがたの喜びのために働く協力者です」(24)と言い添えています。「支配」とは、恐らく、ローマ社会の、神々の権威を纏った皇帝支配になぞらえたものでしょうが、確かにパウロは、皇帝以上に、人々の永遠の生死を左右する権力を持っていました。それは、神さまから託された権力ですが、もしパウロが「そんなことをするおまえは、キリストの民ではない」と宣言すれば、どんなに望んでも、その人は神さまの国から閉め出されてしまうのです。


Ⅱ 教会が追い求めるものは

 けれどもパウロは、コリント教会の消滅など、望んではいませんでした。どんなに多くの問題を抱えていても、彼らは神さまの選びの民なのです。パウロは、「あなたがたは、堅く信仰に立っているからです」(24)と、彼らの信仰を少しも疑っていません。人を裁く神さまの絶対的権力を託されながらもパウロは、コリント教会で、その権力を行使しようとはしませんでした。一旦退いたマケドニヤからすぐにコリントに戻ろうとしなかったのも、そんなパウロの思いやりではなかったでしょうか。四十年後、使徒後教父・ローマのクレメンスがコリント教会に送った手紙が残っていますが、そこには、同じような混乱を繰り返しながら、なお主の教会として立っているコリント教会の姿があります。

 ここで、一つだけ覚えておかなくてはならないことがあります。本来、教会は、十字架に贖いとなられたイエスさまのものであるということです。イエスさまは、ご自分の群れの人間的弱さをよくよくご存知で、そのイエスさまが私たちに求められたのは、「からし種一粒」ほどの信仰(マタイ17:20)でした。ところが、たとえば、先週触れた何世代も人々を魅了してきたトマス・ア・ケンピスの「キリストに倣いて」など、残念ながら今も一部の教会でそのような方向を目指す人たちがいますが、その求めるところは、宗教的純潔の域を出ないのです。コリント教会の人たちも、時流に乗り遅れまいと、そんな宗教のあり方に倣っていたのでしょう。

 パウロが「涙の手紙」を書き、今またコリント第二書を送るにあたり、彼らに覚えて欲しいと願ったのは、彼らが、世の宗教とは一線を画した、イエスさまの教会であり続けることでした。先に言ったように、パウロは、「涙の手紙」で何を書いたのか、その内容に触れようとはしません。しかし、恐らくそこには、叱責とともに、大きな慰めが満ちていたのでしょう。だからこそ、その手紙を届けたテトスが、彼らの改心という、非常な喜びをもたらすことが出来たのです。

 人格的な高邁さを求めるのは、世の宗教の常でしょう。彼らは、「神や仏」に近づこうとしているのです。しかし、どんなに努力しても、人が「神や仏」になれる訳ではありません。そこを取り違えると、キリスト者と言えども、世の宗教家たちと同じ道に踏み込んでしまいかねません。イエスさまの恩恵を、世の宗教が目指すところと取り違えてはならないのです。


Ⅲ 永遠なる主の愛の中で

 紀元55年の晩秋、マケドニヤにいたパウロは、コリント教会の人たちにこう書き送りました。
 「そこで私は、あなたがたを悲しませることになるような訪問は二度と繰り返すまいと決心したのです。もし私があなたがたを悲しませているのなら、私が悲しませているその人以外に、だれが私を喜ばせてくれるでしょうか。あのような手紙を書いたのは、私が行くときには、私に喜びを与えてくれるはずの人たちから悲しみを与えられたくないからでした。それは、私の喜びがあなたがたすべての喜びであることを、あなたがたすべてについて確信しているからです。私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいからでした」(2:1-4)と。

 その「涙の手紙」と、今書き送ろうとしているコリント第二書は、コリント教会へのラブレターであると言いましたが、それは特別に、大きな問題を抱えた人たちへの、強烈なラブコールと言っていいでしょう。

 ラブレターが二回も書き送られたのは、恐らく、コリント教会内に、大きな変化が起ころうとしていたからではないしょうか。その変化をテトスが見届けて、パウロに報告したのです。パウロは、「もし私があなたがたを悲しませているのなら、私が悲しませているその人以外に、だれが私を喜ばせてくれるでしょうか」と言っていますが、ある註解者は、コリント教会自体がその人を罰したのではと推察しています。そして彼は、そんなコリント教会を去ろうとはせず、踏み留まったのです。

 イエスさまに愛される愛だけが、混乱に陥った人たちの傷口を癒やしてくれると、パウロは確信していました。ヨハネは、「わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(13:34)と、イエスさまの戒めを記していますが、当時の教会のイエスさまを信じる信仰に、何か重大な問題が生じていたのでしょうか。

 ヨハネの「イエスさまがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」という戒めは、現代の私たちも聞かなければならない大切な戒めです。恐らく、混乱の極みにあったコリント教会も、そんな互いへの愛を確認し合っていたのかも知れません。そして、コリント教会は、その愛を確認することで、存続し得たのでしょう。何よりも、イエスさまが彼らを赦して下さったからです。教会では、すべての人たちがこの愛に立たなければなりません。バビロン捕囚直前の預言者・エレミヤは、「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう」(31:3-4)と、神さまのことばを書き留めました。エレミヤは、侵攻して来るバビロンの大軍を前にして風前の灯火だったイスラエルに、「あなたは建て直される」と告げられた、神さまの希望を語ったのです。イスラエルだけではなく、神さまから溢れ出て来る愛が、さまざまな問題や苦難にあえぐ人たちを建て直すことが出来るのです。私たちも、その愛のうちに歩みたいではありませんか。


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