コリント人への手紙Ⅱ


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主の愛を注ぎつつ
コリント第二 12:11-13
イザヤ書     55:1-7
Ⅰ 苦難の神学を生き抜いて

 先週、パウロの「この肉体のトゲを取り去って下さい」という祈りに、イエスさまは、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現われるからである」(9)と応えられたことを見ました。弱さを持ったまま、それを覆い隠して下さるイエスさまのあわれみと恵みに立とうとする、それがパウロのイエスさまを信じる信仰でした。

 今朝のテキストが「私は愚か者になりました」(11)と始まるのは、その確認なのでしょう。
 パウロの「肉体のトゲ」は何らかの病気と思われますが、それを「サタンの使い」(7)と表現したことについて、先週、「イエスさまを信じる信仰に留まらなければ、魔術師や宗教家たちと同じようになってしまうことを念頭に、パウロはサタンの巧妙な罠に思いを巡らし、主のご計画を思った」と聞きました。古代社会では病気をサタンの働きとしていたため、それを「サタンの使い」と表現したのでしょう。聖書は、精神障害や癲癇といった病気を、「悪霊に憑かれた」症状として描いていますが、イエスさまは、何度もそのような悪霊を追い出し、人々の病いを身に負われました。パウロは、そのイエスさまに倣ったのでしょうか。4:10に「私たちは、いつもイエスの死を身に帯びている」とありますが、パウロが倣ったのは、十字架のイエスさまでした。NTDの註解者はそれを、「パウロはキリストの苦難を宣教するだけでなく、それを生き、恐るべき現実の中でそれを追体験したのである。彼においては、現実に体験した苦難と、苦難の神学は一つである」と証言しています。

 そのように、パウロの立ち方を苦難を中心に見ますと、「愚か者になった」とは、弱さを包み隠して下さるイエスさまの恵み立とうとする、彼の真骨頂と聞こえてくるではありませんか。「あなたがたが無理に私をそうしたのです」(11)というところも、自分はイエスさまから使徒に任命されたのだとするパウロの、断固たる主張と伝わって来ます。「私は当然あなたがたの推薦を受けてよかったはずです。たとい私は取るに足りない者であっても、私はあの大使徒たちにどのような点でも劣るところはありませんでした」(11)と続くことばは、それを更に明確にしているのでしょう。「大使徒たち」とはパウロの皮肉ですが、コリント教会の人たちは、まさに彼ら巡回伝道者たちをそう呼び、彼らもまた自分たちをそのように認識していたのでしょう。


Ⅱ 力ではなく、主の恵みによって

 パウロが福音の使徒である証拠は、「使徒としてのしるしは、忍耐を尽くしてあなたがたの間でなされた、あの奇跡と不思議と力あるわざです」(12)とある、その「奇跡と不思議と力あるわざ」に明快に示されています。それは、貧しく、且つさまざまな労苦の中にある人々の悲しみに寄り添うものであり、究極的には、「死」にさえ打ち勝つ力を持っているのです。

 ところがパウロは、その「奇跡と不思議と力あるわざ」の内容について、何も語ろうとしていません。それはパウロが、それら奇跡的力を、福音を伝える武器として使用しなかったことを意味しています。コリント教会でパウロがそのような力を行使した形跡は、何処にもありません。恐らくパウロは、自分の使徒職がそのような奇跡的力によって裏付けされるとは、考えてもみなかったのでしょう。ただパウロは、巡回伝道者たちに対抗するために、異言を語る等、それら奇跡的「しるし」を持ち出しましたが、それらは魔術的と受け止められかねず、福音宣教に決して益とはならないと、肝に銘じていたのではないでしょうか。パウロの福音宣教は、ひたすら、「十字架のことば」(コリント第一1:18)を語り伝えることにありました。「忍耐を尽くして」とありますが、ここからは、様々な苦難を耐え忍び、弱さの中にも「わたしの恵みはあなたに十分である」として注がれる、イエスさまの愛を人々の前に描き出そうとするパウロの姿が、痛いほど伝わって来るではありませんか。

 恐らく、古代ギリシャの価値観に迎合した巡回伝道者たちや多くの宗教家たちがそうであったように、いつの時代にも、魔術的な「奇跡的力」を行使することは、宗教にとって魅力だったのでしょう。それは、「科学的」であることを誇る現代でも、根本的には変わりません。当時も、イエスさまを信じる信仰は、そのようなところで求められていたと思われますが、パウロは、そのような力の行使を避けました。恐らく、パウロがそれらを行使したなら、誰よりも大きな奇跡の数々を行うことが出来たでしょう。「パウロ行伝」等いくつもの外典には、行く先々で病人を癒やし、死者を生き返らせたパウロの姿が、あたかもそれがパウロの最も重要な働きでもあるかのように、これでもかとばかりに並べられています。けれども、コリント教会でのパウロは、そのような力による福音宣教を選択しませんでした。


Ⅲ 主の愛を注ぎつつ

 このフレーズは、「あなたがたが他の諸教会より劣っている点はなんでしょうか」(13)という問いかけで締め括られます。パウロは、コリント教会で根深く議論されている、もう一つの問題に取り組もうとしているのですが、それは、パウロが教会から謝礼を受け取らないのは真の使徒ではないからだとする、批判に答えるものでした。これは、多額の謝礼を当然のように受け取り、自分たちを「大使徒」と自認している巡回伝道者たちを念頭に置いているのでしょうが、「教会からの謝礼」は、当時のコリント教会の人たちにとって、使徒たることの権利であり、証明でもあると思われていました。しかしパウロは、その権利を、利用しませんでした。パウロは、アクラ・プリスキラ夫妻と共に天幕造りをしながら、自分とテモテやシラスなど同労者たちの必要を満たし、コリント教会を建て上げて来たのです。それは、貧しい肉体労働者たちが多く、逃亡奴隷も加わっていたコリント教会の人たちに負担をかけまいとする、パウロの愛から出たことですが、イエスさまもそのような在り方を貫き通されました。けれども、「パウロが教会からの謝礼を受け取らない」という問題は、巡回伝道者たちがコリント教会の教師になることによって、表面化してきました。それはパウロが真の使徒ではないからだろうと、コリント教会の人たちの非難は、パウロに向けられたのです。ところがパウロはこれについて、「あなたがたが他の諸教会より劣っている点はなんでしょうか。それは、私のほうであなたがたには負担をかけなかったことだけです。この不正については、どうか、赦してください」(13)と、あっさり謝っています。

 パウロは、教会からの謝礼を「受け取る」「受け取らない」は、伝道者の自由と思っていたのでしょう。そんなことより、教会には、必要なところに献げ祈る責任がある。「エルサレム教会への献金」や「コリント教会で行われている夕拝前の愛餐会」など、その最たるものではないかと……。イエスさまだけを頭とする「愛の共同体」には、貧しい人と富める人の区別はなく、社会的地位を持ち込む隙間もなく、牧師や役員が偉いということもなく、伝道者と信徒との区別さえないのです。すべての人は、イエスさまの民であり、福音宣教における戦士なのですから……。それは現代神学が言う「万人祭司」ですが、パウロは、全員が福音の証人という意識を育てたいと考えていたのでしょう。

 イザヤ書には、「ああ、渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え」(55:1)とあり、「わたしに聞き従い、良い物を食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。わたしはあなたがたととこしえの契約、ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。……見よ。あなたの知らない国民をあなたが呼び寄せると、あなたを知らなかった国民が、あなたのところに走って来る」(同2-5)とあります。「神さまの御国」とは、そういうところなのです。当時、教会に逃れて来た人たちは、肉体労働者や逃亡奴隷など貧しい人たちが多かったのですが(現代も同じことが言えるでしょう)、イエスさまはいつも、そのような貧しい人や弱い人たちに優しかったのです。教会は牧師や伝道者たちの就職先ではなく、人々をイエスさまのところに呼び寄せる御国そのものなのですから。傷ついた人や弱い人、悩む人をさらに傷つけるようなことがあってはなりません。イエスさまを救い主と崇める私たちも、そんな御国を築き上げ、そこで憩い、安らぎたいではありませんか。


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