コリント人への手紙Ⅱ



神さまの民と
コリント第二 1:15-22
イザヤ書  66:18-23
Ⅰ 愛に立ちつつ

 前回、1:12-14でパウロは、自分を非難するコリント教会の人たちに、「私たちがこの世の中で、特にあなたがたに対して、聖さと神から来る誠実さとをもって、人間的な知恵によらず、神の恵みによって行動していることは、私たちの良心のあかしするところであって、これこそ私たちの誇りです」(12)と、自慢にも聞こえる言い方をしていますが、それはパウロの「神さまの聖さと誠実」に立っているという誇りであって、それは勿論「神さまの恵み」があってのことですが、自分は〈イエスさまに愛された愛に立ってあなたがたを愛している〉という宣言であり、あなたがたもその同じ愛に立って欲しいという、パウロの願いでもありました。その同じ愛に立つなら、彼らの非難や誤解は必ず解けるだろうと、パウロは確信していたようです。

 今朝のテキストには、「この確信をもって、私は次のような計画を立てました」(15)と、二回目のコリント訪問を決意したパウロの心情が吐露されていますが、「まず初めにあなたがたのところへ行くことによって、あなたがたが恵みを二度受けられるようにしようとしたのです。すなわち、あなたがたのところを通ってマケドニヤに行き、そしてマケドニヤから再びあなたがたのところに帰り、あなたがたに送られてユダヤに行きたいと思ったのです」(15-16)とあります。恐らく、この計画を立てたのは、コリント教会に遣わされていたテモテが、エペソに逃げ帰って来た直後のことです。

 その辺りの事情は少々複雑ですから、時間的に順序を追って説明していきましょう。
 テモテの報告を聞いてパウロは、急遽コリント教会を訪れました。しかし、「パウロは信用できない」と非難され、意志の疎通も出来ないまま、失意のうちに逃げ帰るようにエペソに戻りました。そして、そのエペソで、失われたと言われる第三の手紙・「涙の手紙」を、テトスに託してコリントに送りました。パウロのコリント教会訪問計画は、その手紙に記されていたと思われますが、そこには、いくらかの弁明も記されていたのでしょう。しかし、どんなに強い思いがあったとしても、急いで書いた短い手紙では、その思いを十分に伝えることは出来ません。二回目の訪問でも「涙の手紙」でも果たせなかったその弁明を、ここで改めてしたいと、それがこのコリント第二書になったようです。

 このコリント第二書は、暴動のために予定より早くエペソを発ってマケドニヤに渡ったパウロの元に、コリント教会の人たちの反発が和らいだとの知らせを持ってテトスが戻って来たことにより、再びその弁明を、テトスに託して書いたものなのです。結果的にパウロのコリント訪問は、当初の計画とは違ったものになりましたが、紀元56年の冬をコリントで過ごそうと、テトスのあとを追うように、マケドニヤからコリントへ、三回目の訪問となりました。


Ⅱ 「しかり」なる方のもとに立って

 「涙の手紙」でそれほど詳しく触れられなかった「弁明」が、この第二書では、より詳細に語られています。その「弁明」の第一点が、「そういうわけですから、この計画を立てた私が、どうして軽率でありえたでしょう。それとも、私の計画は人間的な計画であって、私にとっては、『しかり、しかり。』は同時に、『否、否。』なのでしょうか。しかし、神の真実にかけて言いますが、あなたがたに対する私たちのことばは、『しかり。』と言って、同時に、『否。』と言うようなものではありません。私たち、すなわち私とシルワノとテモテとが、あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、『しかり。』と同時に『否。』であるような方ではありません。この方には、『しかり。』だけがあるのです」(17-19)とあります。

 複雑で非常に分かりづらい言い方ですが、コリント教会の人たちのパウロ批判は、相手が肯定的同意を求めているときには「しかり、しかり」と同意し、否定的な答えを期待しているときには「否、否」とその否定に同意すると、パウロの優柔不断な態度に向けられたもので、そんなご都合主義で頼りにならない人が伝える福音など、どうして信じられようかというものでした。ですから、パウロのこの言い方は、その批判に答えたものなのです。良く読みますと、その主張はイエスさまの福音に立った極めて単純なものですから、要約するだけで十分でしょう。要点は、「完全な『しかり』であるイエスさまの働き人である私(使徒パウロ)が、『しかり』以外の生き方を選択する筈がないではないか」というものです。パウロは、「この方には、『しかり。』だけがあるのです」と、自分には、神さまの強い意思に忠実なイエスさまに倣う立ち方だけがあるのであって、それ以外の生き方はあり得ないと断言しているのです。

 これをもう少し噛み砕いて言うと、御子イエスさまは、私たちの救いに対する神さまのご計画に、いささかも「否」を唱えず、ご自分のいのちをもってそれを全うされたのであり、自分はそのメッセージを掲げつつ、イエスさまの使徒として立っているのであり、それが私(使徒パウロ)の生き方なのである……と。使徒パウロの宣教は、自分の宗教観や信念から出たものではなく、イエスさまが完成された十字架の赦しを、そのまま受け止めたところにあると言っているのです。それは、次の20-21節で、より明確に語られます。


Ⅲ 神さまの民と

 そこには、「神の約束はことごとく、この方において『しかり。』となりました。それで私たちは、この方によって『アーメン。』と言い、神に栄光を帰するのです。私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です」(20-21)とあります。

 ここには、「神さまがパウロ(たち)に油を注がれた」とありますが、「油注がれた者」とは「キリスト」のことですから、ここでは、神さまがパウロをキリストに属する者として召し出されたと言っているのです。誤解を恐れずにもっと突っ込んで言うならば、パウロは第二のキリストとされたと言っているのです。もちろん、パウロはイエスさまではなく、十字架に架かって私たちの贖罪となったわけでもなく、これは、「キリストと同じように、全面的に信頼に足る者となるように彼に恵みを与えるという意味」(叢書新訳聖書神学7「第二コリント書の神学」新教出版社)、と聞かなければなりません。パウロだけでなく、「たち」とあるように、そこにはシルワノとテモテも含まれ、また、「私たちは」(20)とあるように、イエスさまを認め、信じ、受け入れた者全員が、その恵みに与ることが出来るのです。しかもここでは、「あなたがたといっしょに」とあり、問題の多いコリント教会の人たちも含まれているのですが、恐らくパウロは、それを言いたいがために、ここに自分に注がれた神さまの恵みを持ち出したのではないでしょうか。このコリント第二書には、失われた「涙の手紙」の断片がいくつも再録されていますが、それなのにパウロは、二回目のコリント教会訪問で何があったのかを、語ろうとはしません。エペソを去らなければならなかったとき、トロアス、マケドニヤへの道を取ったのも、その胸中に、コリント教会への思いが膨らんでいたからではないでしょうか。
 パウロは、このフレーズを、「神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました」(22)と閉じました。

 「確認の印を押した」とは、油を注いだことの繰り返しで、キリスト者として私たちを招かれた神さまの強い意志表示です。その保証として「御霊を私たちの心に与えてくださった」と、「私は神さまのもの、神さまの民である」とするパウロの、断固たる思いが伝わって来るではありませんか。

 「私たちを」とは、コリント教会の人たちだけでなく、現代の私たちまでも含まれていると聞かなければなりません。イザヤ書66章に、「わたしは、すべての国々と種族とを集めに来る。彼らは来て、わたしの栄光を見る」(18)とあります。イザヤは終末の光景を見ていたのでしょう。「『わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように。毎月の新月の祭りに、毎週の安息日に、すべての人が、わたしの前に礼拝に来る』と主は仰せられる」(22-23)とあります。主の民としての群れが広がって行ったのは、宗教改革後のことですが、終末の時代と言われる今、きっとその動きは加速していくのでしょう。教会は、主の救いを求めて来る人たちのために、備えなければなりません。現在でも、求める人たちは多いのですから……。私たち、心を一つにして、主に仕える姿勢を整えたいではありませんか。


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