コリント人への手紙Ⅱ


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時代の傾向に抗い
コリント第二 12:1-5
エゼキエル書 40:1-4
Ⅰ 異端神話に囲まれて

 パウロが「私はヘブル人であり、イスラエル人であり、アブラハムの子孫である」「牢に入れられたことも多く、またむち打たれことは数えきれず、死に直面したこともしばしばであった」(11:22-23)と主張しているそれは、敵対者である巡回伝道者たちも誇っていたことでした。彼らが持ち出してきた創作神話は、コリント教会の人たちを巻き込み、次第に拡大していったのでしょう。特に、「宗教」という分野では、人は荒唐無稽な神話に惹かれるものですが、批判的な目が育っている筈の現代でも、それは変わりません。重い病気にかかった人が回復を願って祈り、回復するなら、それは神さまが癒やして下さったのだと、信仰の事柄として共有する向きがあるようです。しかしながら、そのような在り方には、イエスさまを自分たちの利益に適う神的存在としてしまう恐れがあるのではないでしょうか。そこには、十字架やよみがえりといった、イエスさまの恩恵の意味を失わせるものがあります。現代、そんな落とし穴に陥る人たちが多くなっているように感じられてなりません。

 パウロは今、そのような巡回伝道者たちを敵に回して戦っているのですが、パウロは今、その彼らと同じ舞台に上がろうとしています。そうすることで、巡回伝道者(というよりもコリント教会の人たち)に、何が問題なのかを明確に示すことが出来ると考えたからです。「無益なことですが、誇るのもやむをえないことです。私は主の幻と啓示のことを話しましょう」(12:1)とパウロは、主語を「キリストにあるひとりの人」と三人称にしながら、(恐らく、自分自身の体験)を持ち出しました。この自分の体験話というのは、もともと巡回伝道者たちが得意に持ち出してきたものですが、パウロは、コリント教会の人たちが、自分がこれから語ろうとする「幻と啓示」―神さまが直接啓示して下さった忘我的(霊的)体験―を、パウロ自身の体験であったと聞くならば、これまでパウロを「霊の人ではない」としてその使徒性を否定していたにもかかわらず、たちまちパウロを、「神さまの霊が宿る人」として祭り上げるのではないかと心配していたのです。そこには、パウロを巡回伝道者たちと同じ異端神話を語る者にしてしまう危険性があったからです。パウロは、主語を三人称にすることでその危険性を回避しましたが、これは神さまのことであるから、必要ならば、神さまご自身がそれを明らかにして下さるであろうとの前提のもとで、この挿入句を持ち出したのでしょう。


Ⅱ 天上への旅?

 パウロが持ち出した「幻と啓示」は、「私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に―肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです。―第三の天にまで引き上げられました。私はこの人が、―それが肉体のままであったか、肉体を離れてであったかは知りません。神はご存じです。―パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています」(2-4)というものです。パウロは、ダマスコ門外でよみがえりのイエスさまにお会いした後、「血肉に相談することもせず、私より先に使徒となった人たちに会うためにエルサレムに上ることもせず、すぐにアラビアに出て行き、再びダマスコに戻りました」(ガラテヤ1:16-17)とありますが、ダマスコから出て、ダマスコに戻ったその「アラビア」とは、恐らく、シリヤに広がる無人の砂漠地帯だったと思われます。そこでどれほどの期間を過ごしたかは不明ですが、伝道者としての訓練を神さまから直接受けるためだったとするなら、「第三の天にまで引き上げられた」というこの「幻と啓示」は、パウロ自身の体験であり、それは、神さまが彼を召し出し、神さまの領域を見せるための特殊体験であったと考えられます。

 その「幻と啓示」がどんなものであったのか、パウロが触れようとしていないものを詮索するのもどうかと思いますが、創世記2章にある「エデンの園」や預言者エゼキエルが見た黙示(40-47章)、ヨハネの黙示録にもその「パラダイス」の情景が描かれています。それはまさに神さまの「都」でした。それについては後で触れますが、その前に、パウロの経験に非常に良く似た記事がある後期ユダヤ教文書・「スラブ語エノク書」(「聖書外典偽典3」教文館)から、少しだけ紹介しましょう。

 非常に大きな二人の男がエノクに現れ、その翼に彼を乗せて第一の天、第二の天……へと連れて行き、「かの男たちは私を連れて、第三の天に昇らせ、天国の中央におろした。」「その場所は景色の美しさからしてはかり知れないものであった。すなわち、木々はすべてよく花咲き、果実はすべて熟れ、食物はすべていつも豊富で、風はすべて香りよかった。そし静かな流れで庭園全体をめぐっている四本の川が食物となるすべてのよいものを生み出していた。また生命の樹がその場所にあって、そこは主が天国におはいりになるおりに休息される場所である。……」(1~5章)というものです。


Ⅲ 時代の傾向に抗い

 この「天上の世界」がパウロの見た第三の天かどうかは判りませんが、そんなことが持ち出されていたことから、当時の宗教界は、後期ユダヤ教だけでなく、様々な異端神話で溢れていたことが窺われます。そこには、巡回伝道者たちがコリント教会に持ち込んだ、異端神話もあったのでしょう。「天上への旅」は、霊的世界を熟知していると吹聴する人が、その霊力を鼓舞する絶好の主題でした。パウロは、コリント教会の人たちを取り込もうと、天上の状景を霊的核心の一つとして語る巡回伝道者たちに異議を唱えるかのように、神さまが支配される本当の天上の世界を語ろうとしたのでしょう。この外典が描く天上の状景には、「一つの川がエデンから湧き出て、園を潤していた。それは園から分かれて、四つの源流となっていた。……神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また、守らせた。神である主は人に命じられた。『あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。』」(創世記2:10-17)とありますが、エゼキエル書やヨハネの黙示録にも、似たような状景が描かれています。パウロが見た世界も同じだったのでしょうか。

 パウロは、そこで見た「天の都の状景」について、それ以上のことを語ろうとはしていません。そんなことは、あなたたちにも私にも必要ないものであると見ていたのでしょう。パウロが、「肉体のままであったのか、私は知りません。肉体を離れてであったのか、それも知りません。神がご存じです。肉体のままであったのか、肉体を離れてであったのか、私は知りません。神はご存じです」と、同じことを二回繰り返しているのは、コリント教会の人たちに、「そんなことは知らなくてもいいことだ」と言いたかったからではないでしょうか。それは創世記の記者と預言者エゼキエルに任せておけば良いのだと……。パウロは、パラダイスにおいて聞いたことばを、「言い表すこともできない、人間が語ることも許されていないことば」と言っていますが、それは「知らなくてもいい」と、再度釘を刺したことではないでしょうか。

 しかし、パウロが第三者の目で見たと証言する「天の都の状景」には、「神さまとともに住まう」という主題が語られているのです。それはまた、パウロが建て続けてきた教会のテーマでもありました。パウロの「天上への旅」は、実にパウロの忘我的体験でしたが、しばしば、宗教には(キリスト教においても)、そんな忘我的体験が「聖霊体験」として、必要以上に重要視されることがあります。その時代は、巡回伝道者たちの在り方がもてはやされていましたが、パウロは、そんな時代の傾向に、異議を唱えたのです。それは霊的傲慢であり、コリント教会を舞台にするその「霊的傲慢」こそ、パウロが猛烈に戦を挑んだ相手だったのです。しかしパウロは、そんな傲慢を捨て去り、「このような人のことを私は誇ります。しかし、私自身については、弱さ以外は誇りません」(5)と、キリスト者の立つべき信仰のスタンスを表明しました。「このような人」とは、主の御顔を拝し、主の前に跪く人たちを指しているのでしょう。パウロは、コリント教会の人たちに、そのような信仰者として立って欲しかったのです。聖霊体験を否定することは出来ませんし、またそのつもりもありませんが、そこに自らの正当性を主張する何かがあるなら、それは修正されなければなりません。キリスト者とは、イエスさまの前に膝をかがめ、ひたすら「あなたこそ私の主」と告白し、拝する者なのですから……。


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