コリント人への手紙Ⅱ


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力の限り声をあげよ
コリント第二 11:28-33
イザヤ書    40:9-11
Ⅰ イエスさまの群れのために

 先週、パウロは「愚かな自慢話」にことよせて、「にせ兄弟の難」に言及していますが、その中にある「労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった」(27)は、「祈りの欠如」のためではなかったかと指摘しました。しかし、そこではまだ、それが「教会の問題である」ということは伏せられていましたが、今朝のテキストでは、問題の中心点は「教会における祈りの欠如」であるとして、「このような外から来ることのほかに、日々わたしに押しかかる諸教会への心づかいがあります」(28)と、パウロはもはやそれを隠そうとはしていません。教会に対する心づかいは伝道者の真骨頂ですが、伝道者のために祈るという教会訓練は、ある意味で、伝道者自身の務めでもあったでしょう。これまで立ち上げられた各地の教会は、パウロの姿勢からそれを学び、伝道者とその働きのために心を込めて祈っていました。ですからパウロは、眠られぬ夜を過ごしながらも、その苦難を支えて下さる主と背後にある兄弟姉妹たちの祈りを、感謝をもって覚えていたのでしょう。パウロにとって、教会のために受ける苦難は、むしろ誇りでした。「諸教会への心づかい」とクッションを置いた言い方をしていますが、コリント教会は、そのような祈りにおいて、まだ未成熟だったのでしょう。「心づかい」とは「心配事」(新共同訳)の意味ですが、パウロの念頭には、そこに、コリント教会が置かれていたのかも知れません。

 そう聞きますと、「だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまづいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか」(29)とあるパウロの姿勢には、一人一人の兄弟姉妹たちを想いながら、主が助け、支えて下さるように、病いに冒されないように、悪い出来事に巻き込まれないように、一日一日が主の祝福で満たされているようにと、そんな祈りの積み重ねが見えるようです。パウロはそのような伝道者でした。ところが、名誉やお金目当てに群がっている巡回伝道者たちは、自分たちの利益のみを優先し、教会の人たち一人一人のために祈ることはなく、自らの祈る姿勢を教会の人たちに見せることもなかったと言えましょう。パウロと彼らの根本的な違いが見えてくるではありませんか。


Ⅱ 弱さのうちに

 パウロは、分裂分派の争いに明け暮れて愛に欠けるコリント教会を、自分たちの拠点にしようと企む巡回伝道者たちを、異端であり、イエスさまとは別の福音を伝える者であると警戒していました。もちろん彼らには、自分たちが異端であるなどという意識は全くなく、むしろ、彼らが持ち込んだ異端神話を、時代最先端の宗教思想と自負するところがあったのでしょう。奇妙なことに、人間というものは、それは現代にも言えることですが、聖書の記事に憧れにも似た思いを抱きながら、それをそのまま受け入れようとはせず、かえっていろいろと脚色して作り上げた異端的なものに心が惹かれ、そちらの方を受け入れてしまう傾向があります。しかし、パウロにとって、そんな「別の福音」は、何としても阻止しなければならないものでした。そこでパウロの「自慢話」は、全く別のものへと変わっていきます。

 「もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります」(30)と。
 この「愚かな自慢話」の締め括りが、イエスさまのことば・「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現われるからである」(12:9)と聞きますと、パウロの目指したキリスト者の立ち位置が、明確になってくるではありませんか。それは、ローマ・ギリシャや東方世界の王・皇帝たちが培ってきたものであり、また、現代人の大方が目指している、強烈な自己主張という価値観ですが、パウロが目指した価値観は、それとは全く距離を置いた、「弱さを誇る」価値観でした。強烈な自己主張は、巡回伝道者たちの指導のもとでコリント教会の人たちが目指していたものですが、「弱さを誇る」生き方は、愛や思いやりや互いへの祈りを大切にする生き方です。ここで私たちが覚えなければならないのは、イエスさまの十字架の死です。私たちを罪から救うイエスさまの大事業は、その価値観を「弱さ」のうちに置き、それを私たちの生き方の模範とされたのです。私たちの生き方は、イエスさまに倣うところにあり、パウロが言う「弱さを誇る」とは、そんな私たちの内に働いて下さる、主であり、神さまご自身であるイエスさまを誇ることにあるのではないでしょうか。パウロが聞いたイエスさまのことば・「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現われるからである」は、まさに、イエスさまを信じる者たちの生き方を方向づけるものであると言えましょう。


Ⅲ 力の限り声をあげよ

 「キリスト者の弱さ」ということを考えてみたいと思いますが、キリスト者たちは、人を押し退けてまで欲しい物を手に入れようとはしません。ですから、その価値観は現代社会の競争意識には馴染めず、しばしばそういった競争社会から脱落してしまうのですが、パウロが言う「弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじている」(12:10)は、そのことを指しているのでしょう。けれどもそこには、「私が弱いときにこそ、私は強いからです」(同10)とあるのです。私の弱さは、主ご自身がカバーして下さると、パウロはそれを、伝道者として召し出されたときからずっと実感していました。彼はそれを、「主イエス・キリストの父なる神、永遠にほめたたえられる方は、私が偽りを言っていないのをご存じです」(31)と証言しています。パウロは、神さまが他のだれよりも自分のことを知っておられ、自分の内面まで見通しておられる確かな証人であると、これまでの彼の生き方の中で実感していたのでしょう。それは、神さまは今も生きて働いておられると、「イエスさまを信じる信仰」の中で聞くことですが、それこそ、コリント教会の人たちだけでなく、現代の私たちにとっても、最も大切な問題ではないでしょうか。

 パウロは、「ダマスコではアレタ王の代官が、私を捕らえようとしてダマスコの町を監視しました。そのとき私は、城壁の窓からかごでつり降ろされ、彼の手をのがれました」(32-33、使徒9:23-25)と、自分にまつわる逸話を取り上げていますが、それは諸教会にも広く知られていました。巡回伝道者たちはそれを、パウロが引き起こした卑怯な行為として取り上げていましたが、パウロはそれを、神さまが一切の苦難を覚えていて下さったと、信仰の証言にしているのです。「卑怯な」というのには理由があります。ローマ軍には、勇敢な兵に贈られる最高の賞に、城壁をデザインして造られた「城壁の冠」という勲章があります。それは、敵の城壁をよじ登って突撃した最初の百人隊長に与えられるものでしたが、多くの註解者たちは、それと比較して、パウロがいかにも頼りなげな赤ん坊のように、籠に入れられて城壁を釣り降ろされて難を逃れたと、註解しているようです。その註解の是非はともかく、巡回伝道者たちはそれを取り上げて、パウロを「卑怯者」と嘲笑していたのでしょう。しかしパウロは、これを神さまの奇跡的な守りと受け止め、兄弟姉妹たちに、この神さまのご配慮と奇跡を感謝して共有するように願っているのです。

 イザヤ書に、「シオンに良い知らせを伝える者よ。高い山に登れ。エルサレムに良い知らせを伝える者よ。力の限り声をあげよ。声をあげよ。恐れるな。ユダの町々に言え。『見よ。あなたがたの神を。』見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く」(40:9-11)とあります。パウロは主の前で、無力で弱い子羊のような者であることを誇っていました。私たちもそうありたいと願います。そして、預言者イザヤやパウロと共に、私たちの神さまであり、主であるイエスさまを信じる信仰を共有し、現代に襲いかかる、「神さまはいない」として、ひたすら「強さ」を目指す強引な在り方に、勇敢に、そうではない、私たちの弱さを覚えて下さる「十字架とよみがえりのイエスさまを信じなさい」と、「力の限り声を」あげようではありませんか。愛と赦しと思いやりと互いへの祈りをもって……。その先には、栄光に富む義の冠が待っているのですから。


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