コリント人への手紙Ⅱ


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信仰の系譜の中で
コリント第二 11:21b-23a
創 世 記     17:1-8
Ⅰ 主が祝福される者は

 前回、コリント教会を巡回伝道者たちの毒牙から守るために、「人があえて誇ろうとすることなら、-私は愚かになって言いますが、-私もあえて誇りましょう」(21b)と、愚か者になってでも巡回伝道者たちに挑戦しようと逡巡する、パウロの決心を見てきました。エレミヤ書から「わたしは近くにいれば、神なのか。遠くにいれば神ではないのか。天にも地にも、わたしは満ちているではないか」(23:23-24)、「見よ。わたしは偽りの夢を預言する者たちの敵となる-主のことば。-彼らは、偽りと自慢話をわたしの民に語って迷わせている。わたしは彼らを遣わさず、彼らに命じもしなかった。彼らは、この民にとって何の役にも立たない」(23:32)と聞きながら、偽預言者集団のことにも触れましたが、そこには、双方の「誇り」をかけた主張以上の、更に深い何かがあるようで、今朝は、その辺りを探ってみたいと思います。

 パウロは、「彼らはヘブル人ですか。私もそうです。彼らはイスラエル人ですか。私もそうです。彼らはアブラハムの子孫ですか。私もそうです」(22)と、たたみかけるように、イスラエル民族の呼称・ヘブル人、イスラエル人、アブラハムの子孫を並べていますが、それはここに、パウロと巡回伝道者たちの、ユダヤ人、特にディアスポラのユダヤ人としての誇りが凝縮されているからです。まずは、その辺りのことから見ていきましょう。

 「ヘブル人」とは、東の大河地方から「渡って来た者」を指しています。アブラハムの父テラは、カルディアのウル(古代バビロニヤの都市)で成功した富者でしたが、一族を連れてカナンに移住しようと、ウルを出て来ました。そこには何らかの「神的託宣」があったと思われますが、テラはその途中の、ハランで足を留めてしまいます。現代聖書学者たちはそれを、バビロンの神々と文化を捨てることに躊躇しためであろうと推測していますが、ハランはバビロニヤの権力や文化の及ぶ境界地点だったのです。テラ亡き後、再びアブラハムは、「あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。地のすべての部族は、あなたによって祝福される」(創世記12:1-3)と神さまのことば・「神的託宣」を聞きます。ヤハウェを信じ崇めていたアブラハムは、異教の神々を祭るその土地の生活に耐えられず、そのことばどおり、ハランを出てカナンに定住しました。異教の地でなぜアブラハムが「ヤハウェ」を信じていたのか、聖書はそれについて口を閉ざしていますが、聖書には、神さまに逆らう人間の歴史の中にも、信仰による義人の系譜とも言える人たちが描かれていて、アブラハムは、その系譜の入口に立てられた人物だったのでしょう。


Ⅱ 選びの民と

 信仰による義人の系譜を持ち出すとき、聖書はそれについて何の理由も付け加えていません。
 「ノア」の記事には、「ノアは主の心にかなっていた。これはノアの歴史である。ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神とともに歩んだ」(創世記6:8-9)とあるだけです。そこには、ノアが選ばれたことについて、何の説明もないのです。ただ箱舟を造って大洪水を生き延びるように、「神さまが一方的にノアを選ばれた」としか語られていません。聖書記者たちは、「神さまがこう言われた」と語るだけで、その理由を書き留めてはいません。

 アブラハムの場合はノアよりずっと単純で、「わたしが示す地へ行け」と言われたとあり、創世記の記者はそれを、「アブラムは、主が告げられたとおりに出て行った」(12:4)と書き記しました。
 このアブラムが「アブラハム」になった経緯が、創世記17章にあります。
 神さまがアブラムに「わたしは全能の神である。これが、あなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。あなたの名はアブラハムとなる。わたしがあなたを多くの国民の父とするからである……」(17:1-8)と言われ、「アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた」(同15:6)とあるのは、そのことを象徴的に言っているのでしょう。パウロはそれを受けて、「信仰によって生きる人々こそアブラハムの子であると知りなさい」(ガラテヤ3:7)と言っています。このアブラムからアブラハムへの変更は、日本語表記では一文字「ハ」が加えられただけにしか見えず、そこからか、「ハ」は「ヤハウェ」の意味を込めた言い方などという説も囁かれています。ところが、「アブラハム」は、アラビヤ語のルハム(多くの)とアブ(父)が結合したもので、アブラムとは全く違った「音」と「意味」を持っているのです。この場合も、神さまがそう宣言されたと、これは神さまによる一方的な選びとしか言いようがありません。その選びの民としての名が、「アブラハムの子孫」であり、「イスラエル」という名に引き継がれてきたのです。「イスラエル」については、アブラハムの孫・ヤコブが御使いと挌闘した際に、「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ」(創世記32:28)と言われたことから、神さまと闘ったという意味を込めての別名ですが、そのイスラエル、アブラハムの子孫が、神さまの約束を待つ聖なる民としての誇りを込めた民族名になったのです。


Ⅲ 信仰の系譜の中で

 巡回伝道者たちがアレクサンドリヤ・フィロンの推薦状をコリント教会に提出したのは、それによって自分たちの権威の正当性を示そうとしたからですが、そこには、「我々は生粋のヘブル人であり、イスラエル人であり、アブラハムの子孫である」という彼らの誇りが主張されていました。パウロは、その彼らに対し、「私もヘブル人であり、イスラエル人であり、アブラハムの子孫である」と主張したのですが、そこには、フィロンのユダヤ・アカデミーで学んだ者たちには及びもつかないパウロの聖書に対する深い造詣があって、さしもの巡回伝道者たちも、その主張を否定することは出来なかったのでしょう。けれども、彼らがパウロを否定出来なかった第一の点は、パウロがイエスさまのしもべとして立っていたからです。「彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです」(23)とパウロは、ここに至って、猛烈な勢いでその主張を始めます。パウロが彼らを「敵」と見なして攻撃したのは、彼らがキリスト教伝道者を名乗っていたからです。

 ただ、パウロはここで、敵の正体を暴くようなことには何も触れていませんので、コリント書に出て来る異端伝道者が、これまで触れてきた巡回伝道者たちだったのかどうかも推測の域を出ないのですが、恐らく彼らは、異言を語る霊の人で、弁論術に長け、ある種の魔術にも通じていた、グノースティコイ(グノーシス者)だったのでしょう。ただ、この「グノースティコイ(グノーシス者)」については、1966年にメッシーナ提案で規定された「グノーシス主義者」とは違い、パウロの時代にすでに、ある種の認識を有する者として、「グノースティコイ」の異名で知られていたようです。パウロがしばしば「グノーシス(知識)」に言及しているのも、そんなグノーシス者を念頭に置いてのことだったと思われます。

 パウロが「私は彼ら以上にキリストのしもべである」と主張したのは、当時、教会を荒らし始めていた、ユダヤ人巡回伝道者たちを念頭に置いてのことと思われます。以前、それはユダヤ主義者たちと考えられていましたが、近年のグノーシス主義研究から「グノースティコイ」のことが判明し、初期教会時代から、彼らの存在が問題視されていたことが明らかになって来ました。特にコリント第二書からは、その猛威が克明に浮かび上がって来るようです。

 しかし、現代教会が、霊の人であることを特別に強調したり、異端的教えに密かに侵されつつあると危惧される中で、そんな彼らへの警戒が必要と思われてなりません。最近、宗教家同士が仲良くなって、しきりと「平和」を叫んでいますが、その正体は何でしょうか。そして何よりも、聖書の記事を否定する、近代自由主義神学を警戒しなくてはなりません。そこに立ち向かう最も有効な手立ては、パウロのように、神さまの約束による信仰の系譜に組み入れられた立ち位置を明確にする、その一点ではないでしょうか。「地のすべての部族は、あなたによって祝福される」と、アブラハムへの約束を思い、そこに私たちも加えられていることに思いを馳せようではありませんか。


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