コリント人への手紙Ⅱ


32
新しい天と地を
コリント第二 10:12-18
イザヤ書   66:22-23
Ⅰ 真のカノンに立って

 パウロが攻撃しているのはコリント教会に入り込んでいた巡回伝道者たちですが、そのことを念頭にパウロは、「私たちは、自己推薦をしているような人たちの中のだれかと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどと思いません。しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです。」(12)と始めます。原典はもっと強い言い方ですが、岩波訳からそれを紹介してみましょう。「実際私たちは、自己推薦をする者たちのうちのある者たちに自分自身を数えたり、あるいは彼らと比較したりすることを、敢えてしたりはしない。他方彼らは、己れ自身の間で互いに品定めをしたり、己れ自身を互いに比較したりしているが、[その者たちはことがらを]理解していない[輩である]。」と。

 巡回伝道者たちのほとんどは、アレクサンドリヤでユダヤ・アカデミーを開いていた高名なユダヤ人学者、フィロンの推薦状を持ってコリント教会に入り込んでいた人たちと思われますが、コリント教会の人たちは、そんな社会的権威を重んじていました。しかし、彼らの推薦状は自己推薦の産物でしかなく、彼らはそれを競争で勝ち取ったのですが、そんな彼らの競争意識は、コリント教会にまで持ち込まれていました。パウロは、そうした彼らの在り方に、断固、異議を唱えているのです。岩波訳からは、そんなニュアンスが伝わって来ます。

 12節からは、彼ら巡回伝道者たちの生き方が浮かび上がって来るようです。彼らの社会的価値観は、「自分」というカノンにありました。「カノン」とは基準という意味で、聖書の正典を指すことばですが、この時にはまだ、「カノン」ということばは存在していませんでした(信仰の基準という意味で、二世紀に登場する)。パウロはここでその「カノン」を、神さまから「量って割り当てられた基準」として、つまり、イエスさまを信じる信仰によって自らに与えられた任務と恩恵を言っているのですが、彼ら巡回伝道者たちは、その「基準」を、自分自身に当てはめていたのです。コリント教会は、そんな自分中心のカノンで生きる人たちが中心になっていました。

 そこでパウロは、自分が拠って立つカノンについて、語り始めます。
 「私たちは、限度を越えて誇りはしません。私たちがあなたがたのところまで行くのも、神が私たちに量って割り当ててくださった限度内で行くのです。私たちは、あなたがたのところまで行かないのに、無理に手を伸ばしているのではありません。事実、私たちは、キリストの福音を携えてあなたがたのところにまで行ったのです。」(13-14)と……。


Ⅱ 主の愛のうちに

 ここで、「カノン」についての、コリント教会の人たちのスタンスを探ってみたいと思います。コリント第一書からですが、そこには、「偶像に献げた肉についてですが、『私たちはみな知識を持っている』ということは分かっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます」(8:1)とあります。「私たちはみな知識を持っている」とは、人々が神々の祭壇に献げた供物の最上級の肉を、祭司が祭壇から取り下ろして、小遣い稼ぎのために市場に売り出していたものの取り扱いを言っているのですが、それは市場から買ったもので、偶像とは関係ないから、愛餐会で食べたとしても何の害も受けないというのが、彼らの「知識」でした。この場合、それは「供物の肉を食べる自由」を一つの高度な宗教的「認識」と受け止めた巡回伝道者たち―グノースティコイと言っていい―のスタンスを言っているのですが、それこそまさに、自分たちの判断を至上とする、彼らのカノンでした。しかし彼らは、そのグノーシスが彼らを高ぶらせ、人を躓かせることに気がついていないのです。なぜなら彼らは、犯してはならないと固く禁じられた「罪」までも、危険ではあるが正しく判断すればそれに拘束される必要はないと、聖書が罪と指摘していることにも耳を傾けようとしないからです。けれどもパウロは、そんな彼らの自己本位の考え方は罪であり、カノンとなるべきは、他の人たちを思いやる愛ではないかと言っているのです。パウロは、イエスさまが教えられた、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」という愛を、カノンとしていました。

 それは次のパウロの記事(13-14)にも当てはまります。
 「あなたがたのところに行った」というのは、パウロが初めてコリントに行って、一年半そこに留まり、コリント教会を建て上げたときのことですが、その時の状況は使徒行伝にこうあります。「ある夜、主は幻によってパウロに言われた。『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。』」(使徒18:9-10) この時パウロは、テサロニケのユダヤ人たちに追い回されたあげくコリントに行ったのですが、そもそもパウロのマケドニヤ行きは、神さまの導きでした(使徒16:9)。「恐れないで、語り続けなさい。……」とは、コリントでもユダヤ人たちに付け狙われ、いのちの危険が予測されていたからなのでしょう。パウロは今、エペソを離れてマケドニヤに来ているのですが、マケドニヤの教会ついては、全く心配していません。マケドニヤの教会には同労者や弟子たちが沢山いて、彼らがそこで懸命に働いていたからです。コリントを離れて三年以上経っているのですが、パウロは、他のどの群れよりも、コリント教会が気にかかってならないようです。
 彼らへの愛が、パウロを動かしていました。


Ⅲ 新しい天と地を

 こう聞いてきますと、パウロの次のことばも頷けるではありませんか。
 「わたしたちは、他人の労苦の結果を限度を越えて誇るようなことはしません。ただ、わたしたちが希望しているのは、あなたがたの信仰が成長し、あなたがのた間でわたしたちの働きが定められた範囲内でますます拡大すること、あなたがたを越えた他の地域にまで福音が告げ知らされるようになること、わたしたちが他の人々の領域で成し遂げられた活動を誇らないことです。」(15-16、新共同訳) 巡回伝道者たちは、パウロが苦労してコリント教会を建て上げたことなど、全く意に介していません。ただ、自分たちがこの大きな教会の教師であることを、誇りたいだけなのです。それはまた、大商業都市コリントの価値観でもありました。教会を訪れた人たちは、そんな価値観ではなく、ただイエスさまの愛に惹かれて来たと思うのですが、パウロのような伝道者がいなくなると、真摯な求道者たちは失望して教会を離れ、教会はたちまちのうちに崩れてしまったのではないでしょうか。巡回伝道者たちの責任は、極めて大きいと言わなければなりません。

 パウロは、コリント教会の人たちからそんな現状を聞いて、教会を荒らす者の手から取り戻そうと、奮闘し始めました。アカイアばかりか、世界の中心となるべきコリント教会が主の手から離れてしまっては、その先を望むことは出来ません。パウロは、「コリントを越えた他の地域にまで福音が告げ知らされるように」願っていました。パウロが思い描いていた「コリントを越えた(次の伝道地)」は、ローマ?あるいはスペインだったのでしょうか。パウロは、コリント教会の人たちと共に、その夢を見たいと願っていたのです。

 イザヤ書に、「わたしが造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くのと同じように、―主のことば―あなたがたの子孫とあなたがたの名もいつまでも続く。新月の祭りごとに、安息日ごとに、すべての肉なる者がわたしの前に来て礼拝する」(66:22-23)とあります。この預言者は、終末を待つまでもなく、全世界に主の福音が宣べ伝えられ、多くの民族がイエスさまを信じる者となって、主への礼拝が広がって行く状景を見ていました。きっとパウロも、同じ夢を見ていたのでしょう。「誇る者は、主にあって誇りなさい。自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です」(17-18)とパウロは、コリント教会の人たちに、自分と同じ使徒の務めを共有して欲しいと願っています。パウロは、福音の広がりの夢を語っているのです。教会が衰退しているかに見える現代ですが、その同じ夢を、私たちも見たいと切に願おうではありませんか。


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