コリント人への手紙Ⅱ


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主とともに歩む者と
コリント第二 10:7-11
イザヤ書    61:1-3
Ⅰ 真のキリスト者は?

 パウロがコリント教会に書き送った「涙の手紙」の核心部分は、彼らの問題点を指摘し、彼らがそれを修正することでした。今朝のテキストは、「あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信して人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもキリストに属しているということを、もう一度、自分でよく考えなさい」(7)と始まります。問題の中心点は、「(コリント教会には)自分はキリストに属する者だと確信している人がいた」ということです。第一書の冒頭部分に、「あなたがたはそれぞれ、『私はパウロにつく』『私はアポロに』『私はケファに』『私はキリストに』と言っている」(1:12)とありますが、NTDの註解者はそれを引用しながら、これは、「私はキリストにつく」ということではないかとコメントしています。

 しかし、分裂分派の争いと見えるそこには、もっと深刻な問題が潜んでいました。それは、知識を意味する「グノーシス」を特殊な「認識」を指すことばとして、イエスさまを信じる信仰に立つキリスト者を、特定の認識に立つ者とする神学に走った人たちがいたことです。アレクサンドリヤのユダヤ教学者・フィロンを源流とするギリシャ語を話すユダヤ人たちの中に、ユダヤ教からキリスト教に鞍替えした人たちがいて、巡回伝道者となった彼らを介してそのような認識がコリント教会に持ち込まれたようです。彼らはやがて、キリスト者ではありながら、認識者・「グノースティコイ」(グノースティコスの複数形、グノーシス者)と呼ばれるようになります。アレクサンドリヤのクレメンスは、「快楽に帰依することで快楽と闘っているとする」人がいると言っていますが、「快楽」は当時、ストア派と並び立つエピキュロス派の哲学主題で、そこでは、快楽さえも「認識」の主題となっていたのです。そのような中で、彼らは「真のキリスト者は真のグノーシス者である」として、キリスト者であることよりグノーシス者であることのほうを重んていた(C.マルクシース「グノーシス」)のです。ある人たちはこれを、キリスト教のギリシャ化、一種のシンクレティズム(宗教混合)と指摘していますが、コリント教会の人たちは、そんな新思想に傾倒していました。彼らがパウロの教えに反抗し、罪を罪と認めず、どんなことでも許されているとばかりに自由奔放な生き方を選択したのは、自分たちこそ真のグノーシス者であり、これこそキリスト者の立ち方であると受け止めたことによるのでしょう。彼らが言った「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケファに」「私はキリストに」も、そのような「認識」(グノーシス)の表明と聞かなければなりません。いわゆる「グノーシス主義」という呼称は、近代になってからのものですが、ここにその萌芽が見られます。


Ⅱ グノースティコイたちは……

 パウロが言っている「あなたがたは、うわべのことだけを見ている」には、彼らがグノースティコイの主張する認識だけに立っているという、鋭い洞察が見られます。つまり、彼らがいかなる認識を掲げ、また、それらがいかにも深い洞察のように見えたとしても、それらはギリシャ哲学の多様性から生まれたものでしかないと言っているのです。そこには、罪の認識もイエスさまによる罪の赦しの認識もなく、ただ流行のグノーシスに浮かれ、認識者を気取っている姿しか見えてこないのだと……。テモテ第一書には、「卑俗な無駄話と、偽称『知識』の〔私たちの教えに〕反対する議論を避けなさい。一部の者どもはそれを所有していると公言して、信仰に関して迷いの道に入ってしまった」(6:20-21岩波訳)とありますが、そこには、【直訳からわかるように特定の集団を考えていることは明らか】と、欄外註が加えられています。

 パウロが言った「私たちもキリストに属しているということを考えてみなさい」には、イエスさまの十字架とよみがえりに与ったことこそキリスト者の真髄、という意味が込められているのです。パウロは、「私は、すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした。なぜなら私は、十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです」(コリント第一2:1-2)とまで言っていますが、彼には、「真のキリスト者は真のグノースティコイ」などという図式は、全くありません。「あなたがたを倒すためにではなく、立てるために主が私たちに授けられた権威については、たとい私が多少誇りすぎることがあっても、恥とはならないでしょう」(8)とあるところも、イエスさまから召し出された者としての矜持を言っているのです。パウロの主の権威は、彼らグノースティコイたちの排他的な「自信」を徹底的に排除しました。コリント教会の人たちがパウロに反発したのも、その辺りに原因があったのでしょう。

 けれども、その権威は、「あなたがたを倒すためにではなく、立てるために主が私たちに授けられた」とあります。パウロは主の教会を建て上げる責任の一翼を担っていましたが、パウロが戦いを挑んでいたのは、コリント教会に潜んでいる、罪との戦いを放棄してしまった彼らの不信仰なのです。グノースティコイたちは次々と新しい神学や新しい派閥を作り上げていましたが、それは、神さまの救いの計画を人間の思考範囲にまで引き降ろし、教会を自分たちの陣営に巻き込んで、抹殺することでした。まるでサタンが、緻密な計算のもとで、人間を自らの陣地に引きずり込んだ歴史を見るようではありませんか。サタンがターゲットにしているのは、そんな小さな思考の構築に右往左往している人間なのです。彼らを「倒した」のは、パウロではなく、サタンでした。「馬鹿者どもが!」とあざ笑っている、サタンの姿が見えるようです。しかしそのすべては、歴史上から消えてしまいました。現代、「グノーシス主義」が脚光を浴びているようですが、いづれ、研究者たちの成果も、「彼らは消えてしまった」として、落ち着くのではないでしょうか。


Ⅲ 主とともに歩む者と

 このフレーズは、「私は手紙であなたがたをおどしているかのように見られたくありません。彼らは言います。『パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会ったばあいの彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。』そういう人はよく承知しておきなさい。離れているときに書く手紙のことばがそうなら、いっしょにいるときの行動もそのとおりです。」(9-11)と、締め括られます。

 コリント教会の人たちのこうしたパウロ批判は、当時のギリシャ人の特徴を示しています。特徴は二つあります。一つは物事を深く瞑想的に突き詰めていく伝統哲学にありましたが、もう一つは「ソフィストたち」です。ソフィストは元来、《知識ある者》という意味で哲学一派とされていましたが、現代では、「詭弁家」と訳されています。彼らは、授業料をとって、百科全書的学識、特に弁論術を教える知識人たちでした。当時、そのようなソフィストたちが復活していて、コリント教会の人たちは、パウロをそのソフィストたちに重ね、弁論が得意ではない伝道者と決めつけたのでしょう。そして、もう一つのパウロ批判は、彼が霊の人ではないということでした。彼らは、働き人の要件に適う霊の人として、何人もの弁舌巧みな巡回伝道者たちを見ていましたが、中には、異言を語って霊の人であることをアッピールする伝道者たちもいたようです(第一14章)。意味不明な言語をわめき立てる外国人を「バルバロス」と言いますが、しばしばそれは異言を語る人を指していて、コリント教会の人たちがイメージした「霊の人」は、そんな異言を語る人だったのかも知れません。パウロは「異言で一万語話すよりは、知性を用いて五つのことばを話したい」(第一14:19)と言っていますが、それが霊の人と見なされなかった所以でしょう。けれどもパウロは、霊の人であり、祈りの人でした。弟子ルカは、その姿を何度も見ていました。

 先週引用したイザヤ書61章には、「神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた」(1)とありますが、これはイエスさまのことであり、パウロのことであり、私たちのことでもあると聞きました。キリスト者とは、自らが組み立てた「神学」の上に認識者として立つ者ではなく、イエスさまの十字架に罪赦され、そのお方とともに生きる、イエスさまの現在化である御霊に満たされている者のことなのです。主とともに歩む者と言ったらいいでしょうか。私たちもそうありたいと願います。


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