コリント人への手紙Ⅱ


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愛ある祈りの家と
コリント第二 8:16-24
イザヤ書    56:4-8
Ⅰ 二人の同伴者を

 今パウロは、「私があなたがたのことを思っているのと同じ熱心を、テトスの心にも与えてくださった神に感謝します。彼は私の勧めを受け入れ、非常な熱意をもって、自分から進んであなたがたのところに行こうとしています」(16-17)と、テトスを再度コリント教会へと送り出そうとしています。それはテトス自身の強い意思でした。しかしパウロは、この仕事は容易なものではないと判断していましたから、テトスの熱意を認めながらも、テトス一人でその任務を全うすることは難しいと、テトスと共にその任務を推進するために、二人の人物を同行させることにしました。

 その一人については、「また私たちは、テトスといっしょに、ひとりの兄弟を送ります。この人は、福音の働きによって、すべての教会で称賛されていますが、そればかりでなく、彼はこの恵みのわざに携わっている私たちに同伴するよう諸教会の任命を受けたのです」(18-19)とあります。

 彼の名前が記されていないのは不思議なことですが、ほとんどの註解者が理由を「不明」としている中で、古くからさまざまな仮説が立てられて来ました。一つは、後の編集者がそれを削除したのではないかというものです。しかし、それはあくまでも推測にすぎず、なぜ削除したのか、その理由が明らかではありません。そんな中で、有力と思われる一つの仮説があります。「第二コリント書の神学」の著者は、それをほぼ間違いないとして、「彼はコリントのキリスト者で、マケドニヤにおける教会の拡大を助けに行き、そこで傑出した福音宣教者として自らを確立した人ではなかったか」と言っています。コリント教会とマケドニヤの諸教会に接点があったことは確かですが、11:9には「(パウロがコリントにいたとき)マケドニヤから来た兄弟たちが、私の欠乏を十分に補ってくれた」とあり、テサロニケ第一書には、「あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったのです。主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっています」(1:7-8)とあります。もし彼がマケドニヤ教会の出身者だったとしたら、コリント教会の人たちは、彼をすんなり受け入れることはなかったでしょう。しかし、彼が、コリントからマケドニヤに行き、そこでその地の教会に卓越した伝道者として知られるようになった人物であったとしたら、コリント教会の人たちは、彼を認め、彼に対するパウロの賛辞を光栄に思うと共に、安心したのではないかと思うのです。これはあくまでも仮説ですが、しごく単純な理由ながらも、説得力あるコメントに聞こえて来ます。当時の教会にこんな動線が生き生きと働いていたと思うと、励まされるではありませんか。


Ⅱ イエスさまを現わす者と

 パウロが、「私たちがこの働きをしているのは、主ご自身の栄光のため、また私たちの誠意を示すためにほかなりません。私たちは、この献金の取り扱いについて、だれからも非難されることがないように心がけています。それは、主の御前ばかりでなく、人の前でも公明正大なことを示そうと考えているからです」(19-21)と言ったのも、この人を念頭に置いていたからではないでしょうか。表面的なことから言えば、この献金は非常に大きな額になると思われましたから、あらゆる面で不正が行われないように、監査役として、誰かを同行させる必要がありました。献金なのに不正を想定するなど、いかにも大商業都市コリントに建てられた教会らしいではありませんか。

 しかしながら、パウロが彼を同行させた真の理由は、別のところにありました。パウロは、ともすれば宗教学や神学の素材として扱われがちなイエスさまのことを、このコリント第二書では、観念的ではない実務上の献金という事柄を通して、その本来の姿を示そうとしているのです。コリント教会の人たちは、観念的なことより実務的な事柄を好んでいました。その生き方は、ローマ・ギリシャ社会という先進社会において、更に一層自分たちがそれをリードする者でありたいという、根本的には自己中心的で、突き詰めて言うなら、他者は自分たちのために存在するという、排他主義的思考がその中心を占めていたと言えましょう。他者のために徹底的に「貧しくなられた」イエスさまの生き方とは、正反対のものでした。パウロは、そのような人たちが、イエスさまの十字架に「罪を赦された者」として、そこから変えられ、他者を利する生き方を選んでくれることを願っていたのです。エルサレム教会への援助献金は、あくまでもその序章でした。それは、彼らが変えられるための、絶好の機会だったのです。

 そうした役割を課して、パウロは、コリント教会の出身でありながらマケドニヤの教会で働いていた、傑出したこの伝道者を送り込もうとしたのです。彼の名が記されていないのは、あくまでもパウロの代理として、イエスさまの生き方を知らしめる役目を担っていたからなのでしょう。きっと彼は、パウロが願ったように働いたのでしょう。コリント教会の人たちが、エルサレム教会に献金することで、その生き方を、自分本位の生き方から他者のために生きる者として、イエスさまの「貧しさ」に倣う者となるようにと……。彼がコリント教会のいくつもの集会で語り続けたメッセージには、「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです」(9)という、一文が入っていたのではないかと想像します。


Ⅲ 愛ある祈りの家と

 パウロは、「マケドニヤ諸教会からの使節」とされた人の他に、もう一人の兄弟をコリント教会に送り込もうとしていました。「また、彼らといっしょに、もうひとりの兄弟を送ります。私たちはこの兄弟が多くのことについて熱心であることを、しばしば認めることができました。彼は今、あなたがたに深い信頼を寄せ、ますます熱心になっています」(22)とあります。この兄弟の名も挙げられていませんが、それは、紹介するまでもなく、コリント教会の人たちに良く知られていたからなのでしょう。彼は、テトスが「涙の手紙」を携えてコリントに行ったときの様子を描いた12:18に、「私はテトスにそちらに行くように頼み、あの兄弟もともに遣わしました」とある、「あの兄弟」ではないかと思われます。彼は、半年もの間、テトスと共に走り回って、数え切れないほどの集会でイエスさまの恵みを証しして来ましたから、コリント教会の人たちとも親しくなっていたのでしょう。テトスと共に、マケドニヤに戻ることを忘れるほどの日々を過ごして……、あっと言う間の半年間ではなかったかと想像が膨らみます。コリント教会の様子を十分に知っているこの兄弟は、今回も、テトスや「マケドニヤ諸教会からの使節」として送られた人にとっても、有能なアシスタントになったのではないでしょうか。ただ、「マケドニヤ諸教会からの使節」として送り込まれた人が「諸教会から任命を受けた者」であったのに対し、彼はパウロ個人によって選ばれたという印象を受けます。彼が選ばれた特質は、「その熱心さ」でした。きっと、テトスや「マケドニヤ諸教会からの使節」として送られた人より若かったのでしょう。しかし、彼もまた、「諸教会の使者、キリストの栄光」(23)と呼ばれています。選ばれ方は違いましたが、彼もまた、自分の名よりも、イエスさまの御名を大切にする人物だったのです。

 このフレーズは、「テトスについて言えば、彼は私の仲間で、あなたがたの間での私の同労者です。兄弟たちについて言えば、彼らは諸教会の使者、キリストの栄光です。ですから、あなたがたの愛と、私たちがあなたがたを誇りとしている証拠とを、諸教会の前で、彼らに示してほしいのです」(23-24)と締め括られます。パウロは、コリント教会が、そのような諸教会との交わりにつながって欲しいと願っているのです。テトスに加え、二人の兄弟たちを登場させたのは、この交わりが、イエスさまのものであることを証言するためでした。愛を差し出すことで、同じ交わりの一員なれるのです。イザヤ書には、「わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ」(56:7)とあります。その祈りは、会ったことも声を聞いたこともない人たちの、けれども暖かい交わりを、彷彿とさせてくれるではありませんか。私たち教会も、主の愛が満ち溢れる、祈りの家であり続けたいと願わされます。


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