コリント人への手紙Ⅱ


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神さまの宝と
コリント第二 7:13-16
出エジプト記  19:3-6
Ⅰ 伝道者テトスの登場

 コリント教会の人たちに「神さまとの和解」を伝えたいと、「和解論」のまとめとして6:11から始まった「パウロとの和解」ですが、今回はその最終フレーズです。「こういうわけですから、私たちは慰めを受けました。この慰めの上にテトスの喜びが加わって、私たちはなおいっそう喜びました。テトスの心が、あなたがたすべてによって安らぎを与えられたからです」(13)と、「涙の手紙」を託したテトスが帰って来て、コリント教会との関係が非常に良くなったという報告を受けて、ここからはパウロの喜びが中心に展開されます。

 ここに、「テトスの心が、あなたがたすべてによって安らぎを与えられたからです」とありますが、パウロのこの喜びには、コリント教会の人たちがテトスに与えた安らぎが、大きな比重を占めているようです。それは、「私はテトスに、あなたがたのことを少しばかり誇りましたが、そのことで恥をかかずに済みました。というのは、私たちがあなたがたに語ったことがすべて真実であったように、テトスに対して誇ったことも真実となったからです」(14)とある中にも見られますが、そこには、コリント教会の人たちが抱えていた問題すべてが解消したとは言い難い、いくらかの事情が暗示されているようです。それなのに、なぜテトスがこんなにも「良い報告」をしたのか、その報告は誇張ではなかったか、と指摘する註解者たちもいます。そう思われる背景が、テトスにはあったのでしょう。まず、それを探ってみたいと思います。

 テトスの表舞台登場は、突然でした。彼の原点はガラテヤ書に見られますが、「それから十四年たって、私は、バルナバといっしょに、テトスも連れて、再びエルサレムに上りました。……私と一緒にいたテトスでさえ、ギリシャ人であったのに、割礼を強いられませんでした」(2:1、3)とあります。その頃、続々と仲間に加わり始めた異邦人信徒たちに割礼を強いる声が大きくなり、エルサレム教会は、「教会会議」を開いてそのことについて議論を重ねました。結果として、その必要なしと決定されたのが、テトスが最初のケースでした。しかし、それ以降、テトスの名前はどこにも出て来ません。そんな時、牧会に行き詰まったテモテが、コリント教会から逃げ帰って来るという出来事がありました。テモテの後任にパウロは、コリントで働いたことのあるアポロに声を掛けましたが、アポロから断られたことで、まだ若い伝道者テトスが抜擢されたのです。先に上げた7:14から、パウロが、コリント教会の様子を、あれこれ詳しく出発前のテトスに語った様子が窺えますが、そのことからも、テトスがどれだけ真剣な思いでコリントに向かったか、想像出来るではありませんか。働きの報告はいくらか誇張につながったようですが、パウロはその報告を、想定以上の成果と受け止めました。

 テトスはこの後、コリント教会での、エルサレム教会への献金のとりまとめ役(第二書8-9章参照)を任されますが、彼はこのように用いられることで、大きくなって行ったのでしょう。やがて彼は、パウロからダルマティア(現ユーゴスラビア)に派遣され、その後パウロがやり残したクレテ島の伝道(テトス書1:5)を任されます。伝承によると、94歳で没するまで、そこで監督として働いていたようです。


Ⅱ コリント教会における信仰の回復が

 13節に「こういうわけですから、私たちは慰めを受けました」とあるのは、起用されたテトスがもたらした嬉しいニュースを指しているのですが、それは、7節の「あなたがたが私を慕っていること、嘆き悲しんでいること、また私に対して熱意を持っていてくれることを知らされた」にも見られます。中でも、コリント教会の人たちが「嘆き悲しんでいる」には、前回のフレーズで中心主題になった「神のみこころに添った悲しみ」と、そこに込められたイエスさまによる「愛の心」が感じられ、それがパウロを慰め、喜ばせたのでしょう。

 そして、パウロの喜びは、テトスが彼らから慰めと喜びを受けたという報告によって、ますます大きくなりました。テトスは半年という長い期間コリントに留まりましたが、その間テトスは、若い伝道者として、礼拝や様々な集会で彼らと祈りや賛美を共にし、一生懸命パウロから託された牧会の務めを重ねたのでしょう。パウロは、信仰者としても知識人としてもコリント教会の人たちとはレベルが違い過ぎ、それが彼らの反感を買う原因になったのではと思われますが、その点テトスは、伝道者とはいえ、まだ若く、信仰も知的レベルも十分ではなく、その働きは、教会の人たちの祈りや数々の支援によって支えられていたのではないかと思われます。先に遣わされた若い伝道者テモテに示した自分たちの行為が、パウロとの関係をぎくしゃくさせたことを憂え、同じ轍は踏みたくないとの思いが、テトスへの優しさになったのかも知れません。

 ともあれ、コリント教会でのテトスの半年は、礼拝でも様々な集会でも受け入れられ、仲間として遇された、喜んでした延長の期間だったのでしょう。だからこそ、彼のメッセージは真摯に聞かれ、一つ一つの集会で暖かい交わりが生まれ広がったのだろうと想像します。これまでテトスには、メッセージを取り次ぐ機会はそう多くはなかったと思われますが、不十分ではあっても朴訥(ぼくとつ)なそのメッセージは、聞く人たちの心に届いたのではないでしょうか。パウロが「この慰めの上にテトスの喜びが加わって、私たちはなおいっそう喜びました」と言ったのは、テトスを含めた彼らの、愛の交わりの復活を言っているのでしょう。それは教会全体で行われたと、それこそまさに「神さまとの和解」ではないかと、パウロの喜びは弾けました。


Ⅲ 神さまの宝と

 パウロはこのフレーズを、「彼は、あなたがたがみなよく言うことを聞き(2017年版新改訳は「従順で」)、恐れおののいて、自分を迎えてくれたことを思い出し、あなたがたへの愛情をますます深めています。私は、あなたがたに全幅の信頼を寄せることができるのを喜んでいます」(15-16)と閉じました。テトスの報告には誇張があったかも知れませんが、パウロは、彼らがテトスを「従順に」「恐れおののいて」迎え入れてくれたと、旧約聖書独特の表現をもって、このフレーズを閉じています。それはイスラエルの人たちの信仰告白でしたが、旧約聖書にはそういう表現がたくさんあります。二箇所紹介しましょう。まず、出エジプト記からです。神さまはモーセに言われました。「イスラエルの子らにこう告げよ。『今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから』」(19:5)と。そして詩篇には、預言者や信仰者たちの瑞々しい告白が溢れています。「恐れつつ、主に仕えよ。おののきつつ震え、子に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために」(2:11-12)とあります。

 パウロがテトスを送り出したのは、パウロの使徒職を代行させるものでしたが、それはまた、神さまの権威を纏うものでもありました。これまでのテトスはほんの使いっ走りで、重要な場面で用いられることはなかったのですが、このコリント派遣でテトスは、パウロに倣うように真剣に働き、驚くほどの成果を持ち帰りました。

 今、パウロは、コリント第二書を託して、再びテトスを送り出そうとしています。結語の15-16節は、テトスへの励ましであり、コリント教会の人たちへの信頼と感謝の確認なのでしょう。テトスは、第二書が書き上がるのを待って、もう一度コリントに行こうとしています。それはまるで、シナイ山のふもとで、みことばを聞きながら力を蓄えていた、イスラエルのようではありませんか。出エジプト記のことばをもう一度聞きましょう。「今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる」と。「わたしの宝となる」は、私たちへの祝福でもあるのです。そしてこの最終フレーズは、「コリント教会とパウロの和解」以上の、神さまからの、コリント教会とテトスとパウロへの祝福と言えるでしょう。若い未熟な伝道者テトスは、自分に託された務めに心を込めて向き合ったことで、予想をはるかに超えた喜びをもたらしました。そんなテトスのあり方に、教えられること大です。


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