コリント人への手紙Ⅱ


21
近くにおられるうちに
コリント第二 7:5-7
イザヤ書   5:6-7
Ⅰ 和解論の結びに

 パウロは、「私たちに対して心を開いてください」と、6:11-13と7:2-4の二回に分けて序文を語り、その間に「問題提起」(6:14-7:1)として複雑な議論を挟みましたが、今朝のテキストからは、7:16まで続く「新しい主題」が始まります。

 「新しい主題」とは「パウロとの和解」のことですが、それは、中心主題の「神さまとの和解」を補足し、結ぶものです。まず、「神さまとの和解」の中心部分を繰り返しておきましょう。そこには、「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」(5:21)とあり、その中心は「イエスさま」なのです。この「和解」は、もともとヘレニズム世界にあった「交換する」ということばを原意とする「和解」のことですが、罪のないイエスさまが罪に定められ、罪にまみれた私たちが罪のない者に数えられるという、イエスさまの十字架を挟んで行われた「交換」が、「和解」の本質部分と言えるでしょう。「神さまは、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされた」とあるように、「和解」は神さまに起因するのです。そもそも十字架は、神さまの恩恵による贖罪というイスラエルの伝統神学に基づいているのですが、グノーシスの影響なのでしょうか、宗教思想に向き始めたローマ・ギリシャ世界に適応させるかのように、人間の側にも責任があると、「和解論」という形態が執られました。パウロの新しい神学と言えるでしょう。今パウロは、その「和解論」を締め括ろうとしています。結論から言うと、コリント第二書の結びに、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように」(13:13)と祝祷がありますが、「和解」は一見、神さまと人間双方の自由意志に基づく「握手」のように見えますが、これは、神さまが一方的に下さった「恩恵」なのです。

 新しい主題の、「和解論の結び」に入りましょう。「マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、さまざまな苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました」(5)と始まります。これは、アルテミス神殿を巡る銀細工職人たちのパウロへの反発が、エペソの町中を巻き込んで暴動になったため、パウロは予定を早めてエペソを離れ、トロアスでコリントに送ったテトスの帰りを待つことにしたのですが、テトスの帰りが余りにも遅かったので、マケドニヤに渡ったということです。ところが、マケドニヤ(テサロニケ等)には、パウロの働きに強硬に反対するユダヤ人たちが蠢いていました。


Ⅱ 愛の心が失われて

 マケドニヤで「さまざまな苦しみ」にあったとは、そういうことを言っているのでしょう。テサロニケのユダヤ人たちは、他の町にも乗り込んで行って、パウロの働きを妨害(使徒17:13)していました。そんな中でもパウロの働きが続けられたのは、勿論、イエスさまからその務めを委ねられていたからですが、各地の教会の人たちも、パウロのために熱心に祈っていました。ところが、その祈りがコリント教会から途絶えようとしているのです。「うちには恐れがあった」とは、パウロのうめきとも言えることばでしょう。11章には、「日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか」(28-29)とあります。パウロがコリント教会を二度目に訪れたときのことです。彼らの無軌道ぶりを咎めた「コリント第一書」に怒り狂ったコリント教会の人たちの様子を見たテモテは、逃げ帰るようにエペソに戻って来ました。そこで急遽コリント教会を訪ねたパウロにも、彼らは罵声を浴びせかけたのです。わずか数日でコリントを離れ、マケドニヤ・トロアス経由でエペソに戻ったパウロは、そこで「涙の手紙」(失われた中間の手紙)をテトスに託しました。「マケドニヤ経由」は恐らく、一旦はコリントを退いたものの、そこからもう一度コリントを訪問する機会を探っていたからと思われます。けれども、その再訪問は実現しませんでした。冷却期間が必要と思い直し、パウロは、マケドニヤからトロアスへ、そして、そのままエペソに戻りました。

 ところで、この「マケドニヤ経由」にも、今回の「マケドニヤ滞在」にも、奇妙に感じることがあります。それは、マケドニヤでの記事がどこにもないことです。いろいろな機会に何度も訪れていたマケドニヤ各地の教会は、パウロやルカにとって、愛に満ちた沢山の素晴らしい思い出が詰まったところです。その頃、医者ルカもそこに滞在していましたから、そこでの働きや交わりの様子など、触れることは沢山あったと思われますが、その記事がないのです。これは想像でしかないのですが、もしコリント教会の人たちが、ここテサロニケやピリピで持たれている麗しい愛の交わりを知ったなら、回復出来ないほど深い傷を負うことになるのではないかと、パウロは危惧したのでしょうか。「日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります」とありましたが、パウロには私たちには知れない数々の苦労があり、しかもコリント教会のことで頭がいっぱいで、それ以上のことは考えられなかったのかも知れません。


Ⅲ 近くにおられるうちに

 テトスが半年ぶりに戻って来ました。彼は、エペソの暴動やパウロの動向をすでに知っていたのかも知れません。古代社会でのニュースの伝達速度は意外と速く、しかも正確でした。パウロがマケドニヤに来ていると確信して尋ね歩いたテトスは、訪れた最初の教会で、パウロの消息を容易に把握出来たのでしょう。今朝のテキストには、懸命に捜し回ったという印象はなく、この二人がさほど時間をかけずに会えたという印象を受けます。それは、イエスさまを中心とする教会の大きな特色でした。その特色は、世界中どこでも、今も昔と変わらず、「愛の信仰共同体」を形造っています。その麗しい交わりの伝統を、私たちも守り続けたいではありませんか。

 テトスに会えたパウロの喜びは、大きなものでした。しかも彼は、大きな慰めをパウロにもたらしてくれました。「しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことで私たちを慰めてくださいました。テトスが来たことだけでなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、私たちは慰められました。私を慕うあなたがたの思い、あなたがたの深い悲しみ、私に対する熱意を知らされて、私はますます喜びにあふれました」(6-7)とあります。異邦人世界の教会成長を根底から支えていたパウロも、鉄人ではありません。なかなか戻って来ないテトスを待っている間に、その心は弱り果てていました。それだけに、テトスに会えた喜びは大きかったのでしょう。

 テトスはさらに、コリント教会の人たちのパウロに対する態度が好転したことを伝えました。彼らは、パウロが願ったように、心を開いてくれたのです。そこにはテトスの並々ならぬ努力があったと思われますが、テトスの働きは、半年にも及びました。

 けれども、テトス以上に、パウロのこともコリント教会のことも心配しておられる方があるのです。「気落ちした者を慰めてくださる神さま」です。パウロは、このお方がイエスさまであったか、父なる神さまであったか、聖霊なる神さまであったか全く区別していませんが、それは、天にも地にも唯一で全能の、彼の罪を贖い、いつも彼のそばにいて助け守って下さったお方なのです。先に「和解論」の結語でも上げましたが、もう一度繰り返しましょう。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように」(13:13)とあります。パウロ書簡の中でも、これほど明確に神さまを言い表したことばは他にありません。まさにこれは、パウロの信仰告白の中心と言えるでしょう。現代の私たちも、その信仰告白を引き継いでいるのです。私たちの神さまは、遠くで私たちを見下ろしているようなお方では、断じてありません。イザヤ書には、「主を求めよ。お会い出来る間に。呼び求めよ。近くにおられるうちに。……私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるからだ」(55:6-7)とあります。コリント教会の人たちがパウロとの和解を選んだのも、彼らがこの神さまを呼び求め、この神さまを信じる信仰に立ち返ったからではないでしょうか。私たちも、すぐ近くにおられるそのお方にしっかりと顔を向け、そのお方を呼び求めようではありませんか。


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