コリント人への手紙Ⅱ


18
神さまとの和解に
コリント第二 6:3-10
詩 篇  118:5-20
Ⅰ 「パウロとの和解」なのか

 今朝のテキストは、パウロの「和解論」の付則とも言えるところです。沈静して少数になったとはいえ、依然、コリント教会にはパウロの使徒職に異議を唱える人たちがいて、教会内におけるパウロの影響力を削ごうとしていました。彼らにとって、パウロの和解論は、「神さまとの和解」というより、「パウロとの和解」に聞こえる危うさを持っていましたから、彼らは、パウロに反対するあまり、イエスさまを信じる信仰からも離れるといった愚を、犯しかねませんでした。パウロはそんな状況に危惧を抱き、弁明として、ここに幾つものフレーズを挿入しました。恐らくそれらは、これから説く和解論のためにも、必要だったのでしょう。

 神さまの知恵と力(コリント第一1:24)、神さまのロゴス(ヨハネ1:14)として世に来られたイエスさまに、実際に出会った人たちはそれほど多くはありませんでした。それでは、他の人たちは、その時その場所にいなかったという理由だけで、イエスさまに出会うこともなく、救いから閉め出されてしまうのでしょうか。そうではありません。イエスさまは、ご自分の福音を、時代も場所も異なる、さらに多くの人たちに伝えるために、このわずかな弟子たちを選ばれたのです。彼らは、エルサレム教会から派遣されて、飛び立って行きました。ペテロはローマに、トマスはインドに、ヨハネはアジヤに……と、弟子たちは世界を目指したのです。

 パウロもその一人でした。いや、ローマ・ギリシャ世界に遣わされた福音宣教者としては、第一人者だったと言えるでしょう。パウロは、未だ手をつけられていないローマ・ギリシャ世界の福音宣教のために、主ご自身が選ばれた宣教者だったのです。そしてパウロには、続く後世の人たちのために、福音そのものを深く理解し、それを整理し、組織づけ、世のありとあらゆる宗教思想に太刀打ち出来る、「キリスト教神学」を構築する責務が委ねられていたのです。コリント教会の人たちは、イエスさまというより、「パウロとの和解」に傾倒し、あるいは反発していましたが、ある意味で、彼らは正しかったのです。パウロがこれほどまでに「使徒職」に拘ったのは、その使徒職を通して、人々をイエスさまの福音に招くためでした。「私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきをあたえないようにと、あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです」(3-4)とありますが、その使徒職は、イエスさまご自身によって任命されたものでした。「この務めに任じられた神さまのしもべ」とは、他の誰でもない、イエスさまの福音の使徒として任命された、パウロ自身のことです。パウロは、イエスさまの福音の啓示者として召されたのです。


Ⅱ 苦難の道を通って

 パウロの使徒職は、「神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしている」(5:20・新共同訳)とあるところに、明確に示されています。その構図は、あたかも、神さまがイエスさまを通して行動されていたように、今度は、パウロを通して行動されようとしていると聞こえてくるではありませんか。パウロに聞く者は、イエスさまに聞き、神さまに聞くのだとする理解です。勿論、そのように用いられたのは、マタイもルカもヨハネもペテロも、そして現代の伝道者たちも同じですが、中でも、パウロの果たした役割は、大きかったのです。ある人はこれを「パウロ宗教」とさえ言っていますが、その構図は、現代も変わっていません。

 ところがコリント教会の人たちは、それを理解しませんでした。パウロに襲いかかったさまざまな苦難は、そこに起因していると言えるでしょう。「すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、また、純潔と知識と、忍耐と親切と、聖霊と偽りのない愛と、真理のことばと神の力により、また、左右の手に持っている義の武器により、また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです」(4-8)とパウロは、自ら辿った苦難を前面に押し出しているのですが、それは、イエスさまご自身が辿られた道でもありました。

 神さまとの和解は、そうした苦難を通って実現して行くのでしょう。「むち打たれ、入獄にも、暴動にも」と、つい先頃の世界大戦時にも、同じようなことがありました。終末を迎えたのではないかと多くの人たちが感じている現代、キリスト者にとって苦難の日々は必ず訪れると、これはイエスさまの預言です。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わします。また戦争や戦争の噂を聞くことになりますが、気をつけて、うろたえないようにしなさい。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。……」(マタイ24:4-7)とあります。そのとき、私たちは、「忍耐と親切と、聖霊と偽りのない愛と、真理のことばと神の力により、また、左右の手に持っている義の武器により……」と、キリスト者だけが持っている武器によって守られるように、願わされます。


Ⅲ 神さまとの和解に

 「私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています」(8-10)とパウロは、七組の相反する事柄を列べていますが、その各組の最初に描かれているのは、この世の人たちの基準によるパウロへの判断であり、それに反発するかのように描かれているのは、パウロ自身の、神さまを基準とした見方です。

 この世の人たちの基準よってパウロを見ると、パウロはいかにも頼りない、競争社会の敗北者と映っているようですが、そこには、競争社会にあってキリスト者として生きることの、弱さや無力さが訴えられているようです。それは現代も同じでしょう。キリスト者になったからといってメリットがあるわけではなく、むしろ、現代の合理的利益社会においては、デメリットばかりが数えられます。しかし、それと対照的に語られているパウロの立ち方は、時代に左右されない、神さまを基準とする、愛ある生き方なのです。NTDの註解者はそれを、「破滅を通して新しい創造と生命が勝ち誇って現れ出るということである」と、見事に言い当てています。「神さまとの和解」に招かれた者の生き方は、パウロも歩んだ道であり、私たちもその道を一歩一歩踏みしめて行けと言われているようです。

 キリスト者と召されたこの60年以上を、多くのことに富んでいるとして、必ずしも喜びの中だけを歩んで来たわけではありません。しかし、少なくとも、持てる物で満ち足りる豊かさと、一つ一つ必要な時に必要な物を与えられたことへの感謝を、教えられて来ました。それはキリスト者の、特権ではないでしょうか。詩篇に、「主は私をきびしく懲らしめられた。しかし、私を死に渡されはしなかった。義の門よ。私のために開け。私はそこからはいり、主に感謝しよう」(118:17-20)とあります。主ご自身が盾となって守り支えて下さるその約束に立ち続けた、パウロや先輩キリスト者たちの、その末席にある幸いを覚えさせられます。パウロは、「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです」(ロマ8:31以下)と言っていますが、現代という時代は、その価値観から、キリスト者たちは人々に疎まれ、憎まれ、その生き方さえも否定されているのではないでしょうか。それはサタンの為せる業です。けれども、サタンに疎まれるとは、嬉しいことではありませんか。イエスさまもサタンに疎まれたのです。私たちもパウロと共に、そのところに立ち続けようではありませんか。「神もしわれらの見方ならば、だれかわれらに敵せんや」と、文語訳で口ずさんだ若い頃を思い出します。バルトの和解論に夢中になって、山手線や地下鉄で何本傘を置き忘れたことでしょう。今は懐かしい思い出です。主が私たちの和解となって下さった、主が私たちの和解となって下さったと、そこに立ち続けたいと願わされます。


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