コリント人への手紙Ⅱ


12
主にお会い出来る日を
コリント第二 4:7-15
詩 篇  116:1-19
Ⅰ 苦難を通り抜けて

 5:10まで続く新しい主題、「希望の章」に入ります。その第一のフレーズをパウロは、「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです」(7)と始めます。「この宝」とはイエスさまの福音のことですが、パウロはそれを、土の器の中に入れてはいるが、「私たちの心に深く入り込み」「神の栄光を知る知識」として私たちを輝かせる、宝であると言っているのです。

 釉薬をかけて1300°以上の高温で焼き上げる陶磁器の起源は、エジプト、メソポタミア、古代中国で人類の文化が芽生えた、数千年前に遡ると言われていますが、そんな優れた焼き物が、ギリシャですでに用いられていました。しかし、当時、陶磁器は非常に高価でしたから、一般民衆が日常的に使っていたのは、安価な素焼きの器でした。それは、すぐに欠けたりひびが入ったりと、長持ちしませんでしたが、大商業都市コリントでも、そんな「土の器」が多く出回っていたようです。一般的に、器というものは、中のものを保護する役目を持つのですが、この場合、パウロの言い方は、そうではありません。自らを「土の器」としたパウロは、自分自身を、素焼きのようなもろい器であると言っているのです。むしろ、素朴な崩れやすい器だからこそ、中の宝が一層輝いて見えるではないか。器自体が尊いのではなく、中にある宝物が尊いのであり、器はその宝物を輝かすために用いられているのだと……。パウロはここで、器に関する世の常識を覆しました。

 その宝物を内に頂いたパウロは、福音の使者として世界を飛び回り、栄光とは真逆の、困窮、迫害、苦難、屈辱の中を、あらゆる苦しみに耐えて来ました。栄光と苦難、この二つは全く相容れないものですが、パウロが伝えた栄光の福音は、あらゆる苦難の中で、輝いていたのです。恐らく人々は、そんなパウロたちの苦難を、十字架の下でエリヤの出現を待ったローマ兵たちのように、そこにどんな神さまの奇跡が現わされるのか、期待していたのかも知れません。しかし、神さまは、パウロたちを、その一回一回の苦難の中から、救い出して下さいました。パウロが「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません」(8-9)と言っている状況は、現代の私たちにも起こることなのです。それは、苦難を通してでなければ、主の福音の栄光を表わすことは出来ないと、聞こえてくるではありませんか。


Ⅱ 死ぬことによって生きることを

 イエスさまは、ご自分の受難と死を通して、「罪の赦し」と「御国への凱旋」という福音を明らかにされ、滅び行く私たちを、そこに招かれました。きっとそれは、パウロだけでなく、現代の伝道者たちも、それが福音の一部であるかのように、自分の十字架という苦難を背負ことになると言っているのでしょう。明治時代の初期、キリスト教禁教令が未だ尾を引く中で、伝道者たちは食べることにも事欠きましたが、そんな中でも彼らは、神さまの助けに一切を委ねていました。今日、「給料」を当てにするサラリーマン牧師が増えているようですが、それは、「測り知れない神の力」を味わう上で、残念なことです。パウロの時代にも、名声と富を求める「キリスト教伝道者たち」が右往左往していましたが、彼らは、福音伝道に「いのち」をかけることなど、考えてもいませんでした。ですからパウロは、キリスト者たる者かくあるべしと、「(私たちは)いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちのこの身において明らかに示されるためです。私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです」(10-11)と宣言しました。イエスさまを見つめる者は、いつもその死を身に帯びていると、肝に銘じておかなければならないでしょう。覚えて頂きたいのですが、キリスト者として召された者たちは、この世の神(4)サタンから敵対視され、苦難ばかりか、「迫害」や「死」にも向き合わされているのです。この世の神と対決することは、ある意味で、イエスさまの福音に招き出された者たちに託された務めであり、その務めは、パウロだけでなく、現代の私たちにも課せられているのだと……。終末を迎えた近年、そのような状況は、一層重くなりつつあります。なぜなら、この世の神の攻撃は、明確にキリスト者たちに向けられているのですから。

 またそれは、ある意味で、福音を受け入れた者たち自身の、対決でもあるのです。「死ぬことによって生きる」とは、パウロの典型的な逆説ですが、実際、迫害や殉教という過酷な時代に翻弄されたキリスト者たちは、死に勝利されたイエスさまのいのちと、向き合わなければなりませんでした。「向き合っていのちに至る」、それは、イエスさまを信じたから安心という信仰ではなく、いのちを下さったイエスさまの苦難と死を、自らの十字架として掴み取り、信仰者として真摯に歩むことを言っているのです。そこには、息の長い信仰の歩みが必要でした。「こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです」(12)とパウロは言っていますが、パウロが、一旦は退いたコリント教会の人たちとなおも向き合おうとしたのは、そのためでした。


Ⅲ 主にお会い出来る日を

 パウロは今、主の前で、輝かしい未来に目を留めています。幾多の苦難や死の危険を味わってきたパウロでしたが、その先には、「いのちはあなたがたのうちに働く」と語ったコリント教会の人たちと共に受ける、輝かしい「いのち」の希望がありました。「死は私たちのうちに働き」と「死につつあった」パウロは今、「『私は信じた。それゆえに語った。』と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです」(13-14)と、主から与えられる、輝かしい未来に胸をふくらませているのです。その思いは、「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです」(Ⅱテモテ4:7-8)と、テモテ書にも記されています。「義の栄冠」は、混沌の世界からイエスさまの福音に招かれた私たちの、目指す所でもあるのです。「私は信じた。それゆえに語った」は、詩篇に「『私は大いに悩んだ。』と言ったときも、私は信じた」(116:10)とあるところからの引用でしょう。これはダビデの賛歌と思われますが、そこには、「まことに、あなたは私のたましいを死から、私の目を涙から、私の足をつまずきから、救い出されました」(8)、「私は自分の誓いを主に果たそう。ああ、御民すべてのいる所で。主の家の大庭で。エルサレムよ。あなたの真中で。ハレルヤ」(18-19)とあります。パウロは、ダビデも憩う、永遠の住まいに目を留めていたのです。その望みは、尊い宝を土の器に入れている、キリスト者すべての願いでもあります。

 パウロは、このフレーズを、「すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで、感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです」(15)と締め括りました。恵みと感謝、これは聖日毎に守る礼拝を指していますが、その礼拝でパウロが願うのは、「神さまの栄光が現われる」ことでした。なぜなら、礼拝こそ、神さまの恵みが最も語られ、聞かれ、覚えられる最高の舞台だからです。そこに沸き起こる感謝と賛美が、聖徒たちを主に結びつけるのです。つまり、それは、詩篇の記者が触れた、「主の家の大庭」を仰ぎ見ることなのです。「主の家の大庭」とは、御国を指す旧約聖書の言い方ですが、それは、聖書を丹念に読むことによって見えてくるのかも知れません。しかし、そこに招き入れて下さることは主の約束ですから(ヨハネ14:1-3)、私たちは必ずそこで主にお会い出来るのだと、その希望に思いを馳せようではありませんか。繰り返しますが、パウロは、ダビデも招かれた主の家の大庭に、思いを馳せていたのです。もう一度、詩篇116篇から聞きましょう。「私は、生ける者の地で、主の御前を歩もう。『私は大いに悩んだ。』と言ったときも、私は信じた」と。そして私たちも、その「主の家の大庭」に憩うことを待ち望もうではありませんか。


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