コリント人への手紙Ⅰ


14
主に愛されていることを
コリント第一 4:14-21
箴言      3:1-12
Ⅰ 愛あるゆえに

 分裂分派の争いに明け暮れるコリント教会の人たちを、厳しいことばで糾弾して来たパウロでしたが、ここで彼は、「私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子どもとして、さとすためです」(14)と、仕切り直しをしました。「あなたがたは、私の愛する子ども」なのだと……。これは、1章で「私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています」(4)、「あなたがたは、ことばといい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです」(5)と、感謝と愛を込めてこの書簡を書き始めたその原則を、何よりもまず、自分自身に思い出させようとしているのでしょう。恐らくパウロは、叱責を繰り返す中で、その「愛と感謝」の原則が、自分の中で希薄になっていくのを感じたのではないでしょうか。先に送った何通もの書簡の内容は分かりませんが、この第一書はまだ書き出したばかりです。今なら修正も間に合う。叱責が叱責のための叱責であるなら、それは決して相手に届いて行かないだろう。そこに、「愛のあること」が大切なのだ……と。ですからパウロは、まず自分の中で修正・反芻しながら、「あなたがたを愛している」という「愛の思い」を、コリント教会の人たちに伝えたのです。コリント第一書には「愛の章」と呼ばれる13章がありますが、「あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属している……。あなたがたはただの人ではありませんか」(3:3-4)と叱責ばかりが目立つ中で、「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。……いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」(13:4、13)と愛に立つ勧めは、この書簡の中心主題なのです。

 その「愛の思い」をもってパウロは、こう書き進めます。「たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません。この私が福音によって、キリスト・イエスにあって、あなたがを生んだのです。」(15)と。「養育係」とは、子どもの家庭教育、食べ物や身の回りの世話をする人のことですが、当時、選任された子飼いの奴隷がその任に当たっていました。それなりの愛情を注いで育てていたのでしょうが、子どもにとっての父親の愛は、何ものにも代え難いのです。ですからパウロは、コリント教会を建て上げた「霊の父」という自負を持って、「あなたがたを愛している」と宣言したのです。


Ⅱ 愛の出所は

 パウロが自分の愛情を「父の愛」と表現したのには、わけがあります。
 それは、彼がそれを、「キリスト・イエスにあって」と、イエスさまに倣ったと明らかにしていることから窺えます。コリント第二の手紙で、「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです」(8:9)とあります。そしてそのお姿は、四章でパウロが、「今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もない。……」(11-13)と言ったことに重なります。そのイエスさまを彼は、「キリストは、神の御姿であられる方なのに、……仕える者の姿をとり、……死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは……すべての口が『イエス・キリストは主である。』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです」(ピリピ2:6-11)と告白しています。父なる神さまと御子イエスさまとの絆に見られる「愛」こそ、今、パウロがコリント教会の人たちを「愛している」と言った、その愛の出所なのです。パウロは自分を、コリント教会の人たちの「霊の父」と言いましたが、彼らを生んで下さったのは、実はイエスさまなのです。父なる神さまであり、イエスさまであり、パウロであると言ったほうがいいのでしょうか。それほどの信仰の洞察をもってパウロは、イエスさまの使者・使徒として彼らの前に立っているのです。コリント教会の人たちだけでなく、私たちも、「ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください」(16)という、そんなパウロを見なければなりません。

 そのパウロの思いを受け継ぐイエスさまの証人が、現代にまで、伝道者の系譜として立てられています。パウロは若い同労者テモテのことに触れ、「そのために、私はあなたがたのところへテモテを送りました。テモテは主にあって、私の愛する忠実な子です。彼は、私が至る所のすべての教会で教えているとおりに、キリスト・イエスにある私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう。」(17)と言っています。やがてテモテは、パウロの後任として、エペソ教会の牧者となりました。そして、ヨハネがエペソ教会に赴任した紀元66~67年頃、パウロの絶筆となったテモテへの第二の手紙を、テモテはエペソで読んでいるのです。恐らく、ヨハネも……。この二人(テモテとヨハネ)―たとえすれ違ったとしても―の出会いは、後世に遺すべきパウロの、愛に富んだ「キリスト神学」をヨハネの内に形成するのに、大いに役立ったことでしょう。私たちも、その愛の系譜に招かれた者として、人を愛する忠実な者でありたいと願わされます。


Ⅲ 主に愛されていることを

 さて、今、この書簡を書いているパウロのもとには、コリントから何人もの人たちが訪れていました。教会内の争いは、悪化する一方だったようです。そんな最新の情報からでしょうか。その一部が、ここに取り上げられています。「私があなたがたのところへ行くことはあるまいと、思い上がっている人たちがいます」(18)と。パウロはコリントに行きたいと願っていました。ところが、彼らにとってパウロは過去の人ですから、そんな人が今更やって来て、かき回して欲しくない。コリント教会の人たちは、パウロは「来る」と言っているそうだが、双方にとって何のメリットもないのだから、恐らく「来る」というのはパフォーマンスで、実際に来ることはまずないだろうと高をくくっていたようです。しかしパウロは、それから間もなく、エルサレムに戻る計画を立て、その前にマケドニヤに渡り、コリントまで足を伸ばそうとしていました。その時のことをルカは、「パウロはここで(コリント)三か月を過ごし、そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があったためにマケドニヤを経て帰ることにした」(使徒20:3)と記していますが、ここに登場するユダヤ人の中には、コリント教会のユダヤ人も加わっていたのではないかと、そんな想像をしてしまいました。もしそうだとするなら、コリント教会の人たちは、パウロばかりか、彼らを愛して下さった父なる神さまと御子イエスさまを敵に回してしまった、と言わなければなりません。パウロを過去の人にしてしまった彼らは、イエスさまをも過去のお方としてしまったからです。

 それほどの憎しみを、彼らはパウロに対して抱いていました。愛の対価として憎しみを、それが彼らの最終の選択であったとするなら、とても悲しいことです。しかし、彼らだけではなく、現代の多くの人たちが、教会を離れ、離れただけでなく、神さまを否定し、憎んでさえいる現実があります。神さまはまるで彼らの、敵のようではありませんか。パウロはこう言っています。「しかし、主のみこころであれば、すぐにでもあなたがたのところへ行きます。そして、思い上がっている人たちの、ことばではなく、力を見せてもらいましょう。神の国はことばにはなく、力にあるのです。あなたがたはどちらを望むのですか。私はあなたがたのところへむちを持っていきましょうか。それとも、愛と優しい心で行きましょうか」(19-21) ここには「父」としての優しさや厳しさが込められていますが、それは、父なる神さまの、そしてイエスさまの目線なのでしょう。箴言にこうあります。「わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる」(3:11-12) 私たちも、まず第一に、主は、私たちを生んだ父として愛していて下さることを、覚えようではありませんか。たとえ、主に叱られているようであっても、それは愛の裏返しなのですから……。そして、パウロがそうだったように、私たちもまた、御父の愛の目線に立って歩むことを、覚えたいではありませんか。



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