コリント人への手紙Ⅰ


10
主にお会いする備えを
コリント第一 3:10-17
アモス    4:12-13
Ⅰ 教会堂建設を?

 「あなたがたは神の建物です」(9)と言ったことから、今朝のテキスト10-15節の議論が展開されます。「与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。」(10) 1-9節では「あなたがたは神の畑」と、農作物を念頭に話を進めて来たパウロですが、コリントのような大商業都市に農作物はふさわしくないと、建築物に話を切り替えたのでしょうか。パウロ自身、東の学都と呼ばれるキリキヤのタルソ出身の都会人でしたから、そのほうが実感がこもっていて、説明にも違和感がありません。ローマの貴族と思われる家主ガイオがコリント教会に提供した建物は、おそらく彼の別荘で、相当大きな建物だったようです。集会所としては申し分なく、どのような経過を辿ってそれが教会に提供されたかは不明ですが、その時点から少なくとも三年ほど時間が経っています。その間、かなりの人たちが教会に加わっていたのでしょう。そして今、「私はパウロにつく」「私はアポロにつく」「私はケパにつく」と、分裂分派の争いが起こっています。グループを構成する人たちが少人数なら、抗争にはならなかったでしょうが、多分、そんなグループ間の争いが表面化する前に、集会場所が手狭になり、会堂建設の話が持ち上がっていたのかも知れません。そうだとすれば、分裂分派の争いも、パウロがここでコリント教会を建築物の土台にたとえ、「どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません」と警告していることも、頷けるではありませんか。

 「というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。」(11)と、土台をイエス・キリストとしているのは、コリント教会を建てるということを、抽象化しているのでしょうか。多くの註解者たちは、そのように受け止めているようです。が、しかし、実際に建築物を建てようとする時、その建築物が何のために建てられるのか、その目的を考えずに建てられることはあり得ません。そのために、まず設計段階で、土台をどうするのかということが極めて重要な問題になって来ます。教会堂の建設は、大勢の聖徒たちがイエス・キリストを主と崇めて礼拝することを、第一にするところから始まります。教会の中心を礼拝堂とするなら、広い空間を支える頑丈な土台が組まれなければなりません。そして、その土台の四隅から伸びる柱の頂点にそびえるシンボル(たとえば、十字架)は、その下がイエスさまを礼拝する場所であると、外から見ても一目瞭然となるのです。「イエス・キリストを土台として据えた」というのは、その意味なのです。


Ⅱ 神さまの前における価値観を

 くどいようですが、繰り返しますと、恐らくコリント教会の人たちは、自分たちの教会堂を建てたいと願っていたようです。それほどコリント教会は大きくなって、大勢の人たちを擁する群れになっていたのでしょう。家主のガイオ、ステパナ、クロエといった人たちから、教会の建物は、主を礼拝するために、それなりの様式を整えるべきとする意見が出されて、恐らく、教会全体が会堂建設に傾いて行ったのではないでしょうか。ただ、実際にそんなプロジェクトがあったかどうか分かりませんが、あったとしても、それはパウロがコリントを去った後に動き始めたと思われます。そんな動きの中で、分裂分派の争いが表面化したのではないかと想像します。想像だけでものを言うのはどうかと思いますが、そんな様子がパウロの耳に届いていたとするなら、パウロのこのことばの意味が納得出来るのです。そこでパウロは言いました。「もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。」(12-13a) ここに言われる「金、銀、宝石、木、草、わら」が、建築材料でないことは明らかです。けれども、教会堂を建てようとする時、教会の人たちは、どの時代のどんな国や町であっても、懸命に献げて来ました。コリント教会の人たちも、同様だったでしょう。ここはそれを言っているのでしょうか。本来なら、献げるものが「金」であっても「わら」であっても、献げる人の精一杯のものであるなら、それは神さまに喜ばれるのです。

 ここはそのように聞きたいところですが、残念ながら、パウロの意図するところは少し違うようです。これは、キリスト教教理のことではないか、教会構成員の人格、その道徳性のことではないかと、使徒後教父の時代からいろいろな議論が渦巻いていて、いづれとも言い難いのですが、ここは、コリント教会の人たちには価値観の違いがあって、その違いが分裂分派の争いを産み出したと聞いてもいいのではないでしょうか。その価値観の違いは、神さまの前におけるというより、それぞれの思惑や利害と結びついた、極めて人間的なものだったようです。ですからパウロは、その判定を、「その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです」(13)と、神さまに委ねているのです。「その日」とは、終末の日、神さまの審判が下される時のことを言っているのでしょう。パウロは、コリント教会の人たちの人間的な価値観を一概に否定してはいませんが、それは、「裁きは、神さまのなさることである」(申命記1:17)とする、信仰者としてのスタンスを大切にしていたからではないでしょうか。


Ⅲ 主にお会いする備えを

 コリント教会が、当時の家の教会という一般的な集会スタイルから脱皮して、会堂を建てたという痕跡は、どこにも見当たりません。教会が固有の会堂を持つのは、四世紀初頭、キリスト教がローマ帝国公認の宗教となって以降のことですが、アルテミス神殿の跡地に建てられたエペソ教会や、ピリピで発掘されたパウロを記念するバシリカ等を見ますと、早い時代に会堂をという動きはあったようです。立派な会堂は、キリスト教がその町で市民権を得るための、重要な役割を担っていました。そんな動きに反応してでしょうか。パウロは、さらに踏み込んで言っています。「もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。」(14-15) ここでパウロには、恐らく、教会を建物とする意識はなかったと思われます。けれども、キリスト者の信仰が教会堂に依存していたとすれば、コリント教会の問題も、かなり整理出来るのではないでしょうか。その宗教意識が、この世の諸宗教と肩を並べているからです。もともと、彼らの分裂分派という問題は、「生まれつきの人間」を狙うサタンの罠でしたから、教会が、分裂分派の争いの中で、中心を欠いた会堂建設を目指し、諸宗教の仲間入りをしようとしていたとするなら、サタンの攻撃も容易となり、それは、グノーシス諸派が提題していた知恵や知識や霊といった神学の土俵に、教会が足を踏み入れたということになるでしょう。パウロはそのことに、断固異議を申し立てたのです。

 教会を建て上げるのには、非常な苦労が伴います。教会堂を建てることも、その苦労の、ある意味で中心とも言えるでしょう。しかし、苦労して建てた会堂が残るかどうかは、その中心に主がおられるかどうかで決まるのですが、その「中心」が、コリント教会に確立しているかと問われているのです。それは、現代の私たちも同じでしょう。ただ、現代の私たちの教会に問題があるからと言って、それをすぐに「罪あり」とすることは出来ません。「主の日に」という、終末時の長いスパンで見なければならないからです。けれども、今、もし問題の渦中にあるなら、私たちは、自分たちの問題を見つめなければなりません。そうでなければ、主の日に、厳しい裁きを執行なさる神さまの前に立たされるからです。どんなに立派な会堂を建てて来たとしても、神さまの前で、その会堂が私たちを弁護してくれることはないのです。教会堂の本質は神さまが住まわれる宮であると、パウロは言っています。「あなたがたは神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。もし、だれかが神殿を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿です」(16-17) これについては次回取り上げますが、教会は神殿であり、主にお会いし、主を賛美し、祈り、礼拝するところなのです。「あなたはあなたの神に会う備えをせよ」(アモス4:12)とあるように、何よりもまず、そのような信仰を整えようではありませんか。



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