2017 Christmas Message


栄光の主の前で

            ルカ 2:8−12、20
エゼキエル 44:1−5

T、「私たちの主、イエス・キリスト」と

 クリスマスおめでとうございます。
 今日は教会暦のクリスマス・イブですが、日曜日ということもあって、プロテスタントのほとんどの教会では、この日にクリスマス礼拝を行っているでしょう。そのクリスマス礼拝で最も多く取り上げられるのは、ルカによる福音書の「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(2:11)ですが、今朝のテキストもそこからです。

 エルサレムから南に車で約20分、ダビデ出身の町ベツレヘムに、紀元325年にコンスタンティヌス大帝によって建てられた、「降誕教会」があります。その教会は、緑の草がほとんどなく低い灌木がまばらにあるだけの、殺風景な「羊飼いの野原」から急な坂道を駆け上がった先の、見晴らしのいい崖の上にあります。盗難防止のためか、石積みで小さくした正面入口を腰をかがめるように入ると、ギリシャ正教会やアルメニア教会などの、いくつもの祭壇があります。その一角から、岩盤に切り込まれた階段を地下に下りて行くと、広い地下洞窟があります。その奥まった一隅に、白色大理石で飼葉桶をしつらえたような小さな祭壇があり、その床にラテン語で、「ここにイエス・キリストは処女マリアより生まれ給えり」と刻まれています。

 そこは、もとは藁を敷き詰めただけの家畜小屋だったのでしょうが、外気から守られていて、意外と快適な空間でした。身重のマリヤには、ごった返す宿屋より、ずっと落ち着く場所だったと思われます。ルカの福音書には、「彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」(2:6-7)とあります。羊飼いたちは、野原で天使たちから、「あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです」(2:12)と聞きました。

 「この方こそ主キリストです」と言われたのは、そのみどりごのことです。今朝は、ルカがそのお方を「主キリスト」とした証言を、おもにパウロ書簡から見ていきたいと思います。


U すべての名にまさる名を

 イエスさまにつけられた称号は、油注がれた者という意味でキリスト、救い主、永遠の大祭司、人の子、神の子などたくさんありますが、その中でも「主」が圧倒的に多く、新約聖書全体で(ギリシャ語コンコルダンスによる)725回、パウロ書簡で284回を数えます。今年のクリスマスメッセージに選んだロマ書でも、「私たちの主イエス・キリスト」(1:4、5:21)とありました。ロマ書は、ローマ帝国全域への福音の広がりを意図して、パウロがローマ教会に書き送ったものです。当時、帝国の首都ローマに建てられた教会は、いくつもの家の教会を総じて「ローマ教会」と呼んでいたようですが、帝国各地の教会の代表になりつつあり、パウロは、その群れを通して、イエスさまの福音の全容を伝えたいと願ったのでしょう。ロマ書には、他の書簡を凌駕するほどの、福音の中心主題と思われる記事が随所に散りばめられています。

 当時の教会は、地域毎にまとまっていて、教派や分派といった意識はなく、全教会は「イエスさまを頭(かしら)とする一つの教会=有機的信仰共同体」との意識を共有していました。このイエスさまを頭とする「尊称」を、「主」と見ていいでしょう。この世的には、家の長「主人」であって、他にもいろいろ共同体を代表する「主人」はありましたが、ルカもパウロも、イスラエルにおける絶対王者、「ダビデ王」の位を引き継ぐ「王」として、イエスさまを「主」と意識したのでしょう。ルカは、「その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります」(1:32)と、御使いのことばを記していますが、パウロもまた、「肉によればダビデの子孫として生まれ」(ロマ1:3)と証言しています。

 それは、ローマ帝国の「皇帝」を凌駕する、「権威」でした。その頃ローマは、元老院による共和制から皇帝制へ移行する時期でしたが(紀元前28-27年頃)、皇帝制度はまだ日が浅く、皇帝の権威もそれほど強力ではありませんでした。しかし、パウロ書簡やルカの文書が諸教会で読まれるようになったネロ帝の時代には、その権威は次第に膨らんで、皇帝は神々の一人と数えられるほどになっていました。「主」や「キリスト」という称号は、皇帝に向けられていたのです。

 けれども、そんな皇帝たちの権威は、武力でもぎ取ったものであり、どんなに権勢を振るっても、いつか別の権威に取って代わられるものです。パウロとルカは、そんな皇帝たちが目指す権威を意識しながらも、この世に遣わされたイエスさまを、「主キリスト」と位置づけました。ピリピ書には、「キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました」(2:8-9)とあります。皇帝が「主」と呼ばれた権威とは比べものにならない尊称、それが「私たちの主キリスト」だったのです。


V  栄光の主の前で

 尊称は、強要して呼ばせるものではありません。しかし、ローマでは、「皇帝法」を立法化することで、ローマ市民や属州の人たちに、その「尊称」のコンセンサスを作り上げていました。そんな権力者「皇帝」に向けられた尊称・「主」に比べ、キリスト者たちのイエスさまに向けた尊称・「主」は、イエスさまは自分たちの救い主であり、自分たちの祈りに応えて恵みを与えて下さる「主」であると、信仰によってイエスさまを、「主キリスト」と告白していたのです。山谷省吾は、その著書「パウロの神学」で、それを意志的決断と呼び、神さまの出来事に対する全人格的肯定であるとしています。イエスさまを「主」と呼ぶのは、信仰による自発的行為なのです。

 そして、もう一つのことですが、当時のキリスト者たちは、神さまから送られた御霊なるお方の内なる助けによって、イエスさまによる救いを「私たちのため」と受け止めていたことです。ですから彼らは、ローマ人の迫害や殉教を恐れずに、「イエスさまだけが私たちの主である」と告白することが出来たのです。すなわちそれは、彼らを罪と死から救い出して下さる、神さまの前での信仰であり、告白なのです。けれどもローマ社会は、そのことを理解せず、理解しないまま、迫害をもってその信仰告白に立ち向かったのです。「主」と言う称号が捧げられるのは皇帝か、それとも~のひとり子イエス・キリストか、この戦いは何世紀にも渡りましたが、ついに皇帝側の敗北となりました。現代の私たちは、この事実を重く受け止めなければなりません。イエスさまは、「勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのである」(ヨハネ16:33)と言われました。クリスマスは、その勝利の祝いでもあるのです。

 エゼキエル書に、「彼が私を聖所の東向きの外の門に連れ戻ると、門は閉じていた。主は私に仰せられた。『この門は閉じたままにしておけ。あけてはならない。だれもここからはいってはならない。イスラエルの神、主がここからはいられたからだ。これは閉じたままにしておかなければならない。』」(44:1-2)とあります。その門は、エルサレム神殿に通じる黄金の門のことですが、この門は、紀元16世紀にオスマン帝国のスレイマン大王が(あるいは、十字軍攻防の時代にか?)、イスラム教徒たちの延命策として、堅い石で閉塞されたと言われています。そこはかつて、イエスさまがエルサレム入城で、ロバの子に乗って入られた門であり、再臨の時に、再びそこを通られると伝えられているところです。そのことについて、バビロン捕囚時の預言者エゼキエルは、幻のうちに神さまから黙示を受けました。「彼は私を、北の門を通って神殿の前に連れて行った。私が見ると、なんと、主の栄光が主の神殿に満ちていた。そこで私はひれ伏した。すると主は私に仰せられた。『人の子よ。主の宮のすべての定めとそのすべての律法について、わたしがあなたに告げていることをことごとく心に留め、それに目を注ぎ、耳を傾けよ。宮にはいれる者と、聖所にはいれないすべての者を心に留めよ』」(4-5)と。全世界の全ての人たちは、この主の福音に聞き従わなければならないのです。イエスさまのご降誕は、まさにその発端なのですから……。終末の時代を迎えた今、イエスさまを「主」と崇める私たちは、その意味を心に刻みつつ、宣教のわざに励まなければなりません。