<イースター>



2017年・復活節2

礼拝を守り続けることで

ピリピ     2:6−11
    エレミヤ 29:10−14、23b


T イエスさまご自身が

 先週のイースター礼拝で、イエスさまよみがえりに多くの証人が立てられたことを見ましたが、そこで、イエスさまよみがえりには「もっと大切な証言があるが、それは次週取り上げることにする」と言いました。今朝は、その「もっと大切な証言」を見ていきたいと思います。

 イエスさまよみがえりの証人たちの中に、パウロは自分自身をも加えて、こう言いました。「最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われました」(コリント第一15:8)と。「イエスさまは私にも現われてくださった」と、これがパウロの証言です。この表現は、ペテロ、使徒たち、五百人以上の人たち、ヤコブなど、他の証言者たちの証言にも例外なく見られるものですが、ここに用いられる「現われた」ということばは、「見えている」とか「会っている」という、受動態の持続的用法を持つギリシャ語で、現われたお方が、ずっと証人たちと共にいることを言っているのです。マタイ福音書には、「見よ。わたしは世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(28:20)とあり、その用法のことばは使用されていませんが、この「共にいる」との約束は、「助け主が遣わされる」ことによって(ヨハネ14:16-19)実現しました。つまり、イエスさまよみがえりの第一の証人は、聖霊によって現在化された、イエスさまご自身であるということなのです。


U それゆえ神さまは

 そしてパウロは、もう一つの突出した証言をしました。それは、コリント教会の人たちがローマ・ギリシャ世界の表舞台とでも言うべきところに居たために、神さまより人間を見ていたからなのでしょうか。彼らには明らかにされていませんけれども、その表舞台から遠く離れたエーゲ海の奥まったところで、神さまのなさることに目を向け続けていたピリピ教会の人たちに書き送られた書簡には、こうあります。「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました」(ピリピ2:6-10)と。

 そこでは、パウロが「最も大切なこと」としてコリント教会の人たちに伝えた以上の、イエスさまの福音の出来事が凝縮されていて、その意味で突出した証言なのですが、「神さまは、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになった」と、よみがえりばかりか、「高挙」と呼ばれる、天に凱旋されたイエスさまの栄光のお姿までが描かれています。イエスさまのその栄光のお姿をどのように確認したかは不明ですが、パウロは、イエスさまよみがえりと高挙という最高の出来事の証人に、神さまご自身を挙げているのです。エレミヤは、イスラエルのバビロン捕囚からの帰還を描き、「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ」(エレミヤ29:10-11)、「わたしは……その証人である」(同23b)と、エゼキエルの「枯れた骨の復活」の預言に並べられるように、イスラエルの復活を預言しました。これがイエスさまよみがえりに重なることは言うまでもありません。そのイエスさま復活の、神さまご自身が立案者であり証人なのです。


V 礼拝を守り続けることで

 そしてパウロは、もう一つの証言を取り上げました。「イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である。』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです」(ピリピ2:11)とあるように、それは、「イエス・キリストは主である」と告白する私たちの礼拝に見られるもので、私たちの内に育てられた、主への愛と感謝と喜びと賛美が溢れ出た証言なのです。十字架とよみがえりの主を「わが主」と崇め、その前に膝をかがめることは、信仰、とりわけ聖霊の助けなしに出来ることではありません。主を礼拝するとき、そこに内在の助け主の導きを感じるではありませんか。十字架とよみがえりの最も大切な証人であるイエスさまご自身と父なる神さまに、パウロは聖霊を加えました。聖日毎に献げられる私たちの礼拝は、そのお方の証言でもあるのです。どんなに時代が変わろうとも―今、時代が激しく変わろうとしていますが―、主への礼拝を守り続けようではありませんか。それが多くの証人たちの列に、私たちも加わることなのですから……。