<イースター>



2017年・復活節1

主の証人として

コリント第一 15:1−11
エゼキエル 37:24−28


T 福音の中心主題は

 イースターおめでとうございます。
 パウロは、「私が最も大切にして来た福音」を、「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと……」(15:3-4)と語り、先週は「十字架」を取り上げましたが、今週は、もう一つの主題、いつの時代にも疑問符がつけられて来た、「イエスさまのよみがえり」についてです。今朝のテキストには、その問題が論じられるときの大きな焦点の一つが語られていますので、まず、そこから見ていきたいと思います。第一に上げられるのは、よみがえりのイエスさまにお会いした証人たちの記事です。「ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全員に現われました」(5-7)とあります。


U 多くの証人が

 まず、その証人の筆頭に、「ケパ(ペテロ)」が上げられます。ペテロの証言について聖書には、「主はよみがえって、シモンにお姿を現わされた」(ルカ24:34)とあるだけですが、使徒の第一人者ペテロは、コリント教会にとっても大切な証言者でした。「十二弟子に」とあるのは、よみがえり当日の夕方、イスカリオテ・ユダとトマスを除いた弟子たちが、捕縛されるのを恐れて、最後の晩餐を摂った屋上の間に潜んでいたときのことです(ヨハネ20:19)。「十二弟子」は、原始使徒団の通称だったのでしょう。八日後には、トマスもいて、同じ屋上の間でイエスさまにお会いしたのですが(ヨハネ20:26)、それが「使徒たち全員に」と締めくくられます。「五百人以上の兄弟たちに」はいつのことか不明ですが、使徒行伝に「百二十名ほどの兄弟たちが集まっていた」(1:15)とありますから、これほど大勢の兄弟が一緒に集まることは、珍しくはなかったのでしょう。その中の、「今なお生き残っている」人たちの証言を、パウロは個々人から直に聞いたのではないでしょうか。それを「五百人以上の兄弟たち」としたのは、「大人数」の証言をコリント教会の人たちが重要と考えていたことによります。彼らは、口裏を合わせることもなかったのに、一様に「主にお会いした」と言っているのです。イエスさまの異母弟「ヤコブ」については、外典・ヘブル人福音書に「主は、ヤコブのところに行って彼に姿を現わした」(17)とあります。イエスさまの異母弟ヤコブは、エルサレム教会の長老でしたから、証言者として非常に重要な位置にいたのです。パウロはそのエルサレム教会から異邦人伝道者として世界に派遣されました。このように見てきますと、コリント教会の人たちの大切にしていたものが「使徒」であったり、エルサレム教会であったり、圧倒的大人数であったりと、人の世の権威であったことが浮かんで来るようです。


V 主の証人として

 次いでパウロは、「最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです」(8-9)と、そこに自分の名を連ねました。これは、主の弟子たちを迫害してダマスコまで行ったときのことですが(使徒9:1-)、彼はそこでよみがえりのイエスさまにお会いし、福音の証言者となりました。「迫害者」が強調されたのは、重要度の高い証言になるからです。そして、「ところが、神の恵みによって、今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。そういうわけですから、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです」(10-11)と、その証言にコリント教会の人たちが反応しました。これは、パウロがコリントで働いていたときのことを言っているのでしょう。実は、もっと大切な証言があるのですが、それは次週取り上げることにして、パウロがここで多くの証人たちがいたと列挙したことで、コリント教会の人たちは、イエスさまよみがえりは実際に起こったことであると、衝撃を受けたのではないでしょうか。それは恐らく、コリント教会の人たちが、神さまより人を見ていたからでしょう。しかし、「地の果てまでわが証人とならん」(使徒1:8)とあるように、神さまは人にその証言を託し、パウロも、その一翼を担う者になりました。コリント教会の人たち以上に疑り深い現代の私たちも、そのように多くの証言者の証言を聞き、イエスさまを永遠に我らの君(エゼキエル37:25)と信じ、受け入れて崇めたいではありませんか。