2008 Christmasu Message



2016年・受難週1

主を守られたお方は

詩篇 34:11−22
ヨハネ   19:36

T レント

 西方教会に由来する教会暦によると、今は「レント(四旬節、受難節とも呼ばれる)」の期間で、3/20は「しゅろの聖日」と呼ばれる「受難節」、3/27は「復活節」を迎えます。今朝は受難のイエスさまを覚え、「『彼の骨は一つも砕かれない』という聖書のことばが成就するため」(19:36)」と、ヨハネが引用した詩篇34:20を見ていきたいと思います。これは、十字架刑が行われた日、日没が近づいていて、翌安息日まで罪人たちをそのままにしてはおけないと、早く葬るため、ショック死させるために、習慣として罪人のすねを折ったことから来ています。ピラトから送られたローマ兵士たちは、イエスさまがすでに亡くなっているのを見て、イエスさまのすねを折らなかったのです。

 この詩篇34篇は、表題に「ダビデによる。彼がアビメレクの前で気違いを装い、彼に追われて去ったとき」とあるように、これは、ダビデがいのちを狙うサウル王を恐れて、敵であったガテの王アキシュのもとに身を避けるのですが、アキシュの家来たちがダビデの勇猛果敢ぶりを王に告げたため、そこからも立ち去らなければならなくなった時のことです。ダビデは、アキシュ王の前で奇行を行なうなど気違いを装って難を逃れ、その中で歌ったものが原形になっているようです(Tサムエル21:13)。アビメレクは、ガテ地方の王の一般的呼称と考えられています。


U ダビデの賛美が

 「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ」(1-2)と始まるこの賛美は、ダビデの人となりを伝えてくれるようです。「来なさい。子たちよ。私に聞きなさい。主を恐れることを教えよう。いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、日数の多いのを愛する人はだれか。平和を求め、それを追い求めよ。主の目は正しい者に向き……」(11,15)とある今朝のテキストも、その延長と考えていいでしょう。

 ところが、「あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。悪を離れ、善を行なえ。」(13-14)などと聞きますと、痴愚を装ってアキシュ王を欺き、ウリヤの妻バテ・シェバを奪ったり(Uサムエル11章)と、結構悪いこともしているダビデのことばとは思われません。きっと、ダビデは、主の前に立つ者の、基本姿勢を語っているのでしょう。その意味でこれは、バビロン捕囚時にシナゴグでの礼拝賛美用に編集された、詩篇の中の一つと考えられます。


V 主を守られたお方は

 彼ら編集者たちは、バビロンの風潮に染まっていくユダヤ人たちに、「(神さまは)心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる」(18)、と教えました。バビロンで長大な預言書を著わしたエゼキエルもその中の一人ではと想像しますが、彼らは預言者でした。その時代に、メシヤ信仰が芽生えたのです。彼らは、神さまのことばに携わる啓示者として、「主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、砕かれることはない」(20)と預言しました。「彼」とは誰のことでしょうか。神さまを主と崇める人たちと聞くのが自然ですが、ここで預言者が、「メシア」を意識していたとしても、おかしくはありません。真偽は不明ですが、ヨハネがその預言を「『彼の骨は一つも砕かれない』という聖書のことばが成就するため」(19:36)と語ったのは、預言者のそんな意識に呼応したものと聞こえます。そもそも、イエスさまの骨が折られなかったのは、すでに亡くなっていたからと理由付けされますが、それが主な原因ではありません。預言者やヨハネが「主の骨は一つも砕かれない」と言ったからそうなったのではなく、神さまが「守る」と決意された、その思いが先にあったのです。預言者もヨハネも、神さまの啓示者として召し出された中で、神さまの御旨を取り次いだのです。その順番を間違えてはなりません。そして、「主の骨が損なわれなかった」のは、「髪の毛一筋さえ数えられている」(マタイ10:30)と言われているように、神さまが、ご自分の民を、限りなく惜しんでおられるからなのです。「聖書のことばは成就する」のです。『聖書は歴史を貫いている」と言えましょう。イエスさまの骨を守られたお方は、私たちの一切をも守られる、と聞こえて来るではありませんか。