<イースター>



2016年・復活節1

主のことばに聞くことを

ヨハネ   20:8−9
詩篇 119:71−72


1、「見て、信じた」ところから

 イースター、おめでとうございます。
 このイースターに、ヨハネ福音書講解説教85で取り上げた、ヨハネの「見て、信じた」(20:8)というテキストを、ヨハネが描こうとした別の景色が見えて来るかも知れないとの期待を込めて、もう一度、立体的な視点で見ていきたいと思います。二回に分けて見ていきましょう。

 「そのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいって来た。そして、見て、信じた」(8)とあるこの証言は、ヨハネとペテロが、イエスさまが葬られた墓から駆けつけたマグダラのマリヤから、「だれかが墓から主を取って行きました」(20:2)と聞いて、墓に行き、中に入ったところ、イエスさまの遺体が、包んでいた亜麻布をその形のまま残し、まるで蒸発したかのように消えていたのを目撃して言ったものです。ところで、講解説教85で、これは「ヨハネが、『あの時、信じた』と述懐出来るほど明白だった」と言いましたが、これには、よみがえりのイエスさまにお会した20章の記事を背景に、「見ずに信じる者は幸いである」(29)という着地点があるのです。「見て、信じた」とは、その着地点を視野に、立体的視点に立って見なければならないということなのでしょう。申し訳ないことですが、ここでは、講解説教85とは違う結論が出て来そうです。

 最初に、結論に近いところから申し上げましょう。
 「見て、信じた」とこれは、ヨハネとペテロが墓に入った時の告白というより、「多くの人々が、イエスの行われたしるしを見て、御名を信じた」(2:23)とあるように、この福音書の初めからヨハネが極めて重要なことと理解し取り上げて来た「しるし」信仰に決着をつけようと、ヨハネは、この「見て、信じた」を、イエスさま最大の「しるし」であるよみがえりを綿密に描いていく、その発端のキイワード・序文としたのではないかと思われるのです。ヨハネは、「カナの奇跡」を最初のしるし(2:11)と捉え、今、「イエスさまは多くのしるしを行われた」(20:30)と繰り返して、この福音書を閉じようとしています。


2、「見ずに信じる」信仰に

 イエスさま最大の「しるし・よみがえり」の記事に込められた、ヨハネのメッセージを見ていきたいと思います。
 21章は、ヨハネ没後、彼の弟子たちによって福音書の編集が行われた時に付加されたもので、その部分を除くと、20章には、「見て、信じた」とする記事(1-10)を序文として、マグダラのマリヤの証言(11-18)、弟子たちの証言(19-23)、八日後のトマスの証言(24-28)と、イエスさまよみがえりを証言した三つの記事があります。「見ずに信じる……」(29)は、その結語なのでしょう。「証言」と言いましたが、ここにはよみがえりのイエスさまにお会いした弟子たちそれぞれの受け止め方が描かれていて、これはむしろ、弟子たちの「反応」なのです。その反応は、彼らがトマスに「私たちは主を見た」(25)と証言し、「喜んだ」(20)としながらも、よみがえり当日と八日後の記事には、すでに、エマオ村から戻って来た二人の弟子やペテロから、イエスさまよみがえりの証言(ルカ24:37)を聞いていたにもかかわらず、二回とも、「戸が閉じられていた(閂を掛けていた)」とあり、これは彼らの不安や戸惑いと聞かなければならないでしょう。20章の記事は、さほど目立ってはいませんが、弟子たちの信仰(「見て、信じた」とするヨハネ自身の信仰も含め)がいかに頼りないものであったかを指摘しながら、しかし、イエスさまがそんな彼らに力強く寄り添って下さったと、証言しているようです。

 ところでヨハネは、三つの記事それぞれの中心主題を変えてはいますが、まるで一つの記事のようにその共通点を描き、段階的にそれを強化しながら記しています。共通点とは、イエスさまが、マリヤにも弟子たちにもトマスにも、それぞれが納得する形で接しておられ、信じられない者たちの確信となるよう、暖かい配慮を見せられたことです。その配慮の中で、マグダラのマリヤにはイエスさまの昇天を弟子たちに伝えよと言われ、弟子たちには聖霊の息吹とともに世界宣教命令を、トマスにおいては、イエスさまを「わが主、わが神」とする告白への経過が語られています。この三つがそれぞれの記事の中心主題になっているのですが、ばらばらに見えるその主題は、「見ずに信じる」という信仰に集約されていくのです。ヨハネが「イエスさまよみがえり」の事実を後世に伝えようと描いた神学構想は、極めて立体的なものでした。


3、主のことばに聞くことを

 そもそも、「見て信じる」信仰については、「しるし」を信じる信仰論議(2:23-25)の中でヨハネは、イエスさまは「(人間の変わり身について)だれの証言も必要とされなかった」(同25)と、結論づけているのです。それを意識してのことでしょうか。よく見ると、奇妙なことに、この三つの記事には、ヨハネ自身の証言が見当たりません。しかも、「しるし」信仰に一つの結論が出された「息子の病を癒やされた王室の役人」の記事(4:46-54)では、「イエスが言われたことばを信じて、帰途についた」(46:50)と言っているのです。これは、逆の言い方ですが、今朝のテキストに、「彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかった」(9)とあるその認識に重なり、ヨハネは、証人の席に着くのは聖書であると言っているのでしょう。

 当時のローマ・ギリシャ世界の聖徒たち、さらに後世の私たちが、聖書の証言「十字架とよみがえりの主・イエスさまのことば」によって救いの確信へと導かれるようにと、ヨハネは、そんな信仰のスタンスを大切にして欲しいと願ったのでしょう。当時、当然のこととされていた「見て信じる」しるし信仰は、イエスさまの回りに集まって来たユダヤ人たちの期待に過ぎず、彼らはたちまち、手のひらを返すようにイエスさまを否定してしまったのだと、ヨハネは目撃していました。紀元一世紀末の教会が、儀礼化され、宗教化された慣例を重んじるようになったその状況が、浮かんで来るではありませんか。「聖書を、まだ理解していなかった」とは、そんな制度化された教会への、警告でもあったのでしょう。ユダヤ教に見られる信仰の空洞化は、イエスさま共同体にも広がっていたと言えましょう。そしてそれは、現代の「聖書が読まれなくなった」という声にも繋がっているのです。人は自分の見たいことを見、聞きたいことを聞くのです。「見た」ことすべてが神さまの真理とは限らず、むしろ、見たことで、ひとりよがりな、屈折した信仰が生まれて来るのではないでしょうか。私たちの信仰を、聖書のことばに照らしてみる必要がありそうです。イエスさまの十字架の場面で、旧約聖書から二つの聖句(19:36-37)が引用されたのも、ヨハネが、神さまのことばを聞くというスタンスを大切にしたためでしょう。詩篇に、「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです」(119:71-72)とあります。バビロン捕囚に遭った人たちの、「見える」ものにすがって国を失った葛藤と、その苦悩の果てにようやく神さまのことばに聞くようになった、信仰姿勢が描かれているのでしょうか。私たちも、その同じところに立ちたいと願わされるではありませんか。