新年礼拝


2015年新年礼拝(1)
イエスさまを待つ


あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
(ヨハネ 14:1−3)

見よ。人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方の前に進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられた。諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。
(ダニエル 7:13−14)

1、また来て、あなたがたを

 あけましておめでとうございます。2015年の幕開けです。
 しかし、これは本当に、「おめでとう」と言える幕開けなのでしょうか。大震災に加えて増えて来た火山活動やゲリラ豪雨による土砂災害や洪水、頻発する大事故、また、世界中を巻き込んだ政治・経済の混乱に伴う社会変動等、イスラム過激派を中心とするテロや争乱にも驚かなくなって、誰もが、今年は更に大変な年になるのではないかと、ある意味、覚悟しての年明けなのでしょう。そんな中で、今年の標語聖句を、ヨハネ14章から、「イエスさまを待ち望む」としました。そこには、「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです」(14:1-3)とあります。

 「また来て、あなたがたをわたしのもとに迎える」とこれは、イエスさま再臨の約束です。その再臨を待ち望もうではないかと、これが今年の標語です。ここから聞かなければならないことがたくさんありますので、二回に分けて聞いていくことにします。今朝はその第一回目です。


2、御国に迎えられることを

 今朝のテキストから聞きたい第一のことは、私たちのためにイエスさまが備えようとしておられる、「場所」のことです。
 昨年のクリスマス・メッセージ(3)で、黙示文学と言われるダニエル書七章を取り上げました。そこには、「見よ。人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方の前に進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられた。諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない」(7:13-14)とあります。これをイエスさま昇天の記事「イエスは弟子たちが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた」(使徒1:9)に重ねますと、イエスさまが天の雲に乗って行かれた先は、「年を経た方」・神さまが主催する「天上の会議」(7:9)であって、聖徒たちのために備えると約束された場所は、「人の子」イエスさまの御国であると分かります。その御国は、黙示録では神さまの都と言われていますが、そこには、「神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった」(21:11)「都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである」(21:23)とあります。ヨハネは、パトモス島に流罪とされた時、それを幻のうちに見たのです。

 しかし、聖徒たちが御国に迎えられるまでには、襲いかかる幾つもの過酷な苦難を乗り越えなければなりません。それは信仰の戦いであって、その信仰の戦いを勝ち抜いて、主にお会いすることが出来ると言われています。ダニエル書七章以降にはそんな戦いのことが記されていますが、最終的には、聖徒たちが勝利を収めると言われています。


3、イエスさまを待つ

 ダニエル書最後の十二章には、「常供のささげ物が取り除かれ、荒らす忌むべきものが据えられる時から1290日がある。幸いなことよ。忍んで待ち、1235日に達する者は。あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたの割り当ての地に立つ」(12:11-13)とあります。1290日や1235日がどのようなことか分かりませんが、聖徒たちは、ある期間、荒らす忌むべきものの支配下で忍耐を強いられるようです。イエスさまも、そんな苦難の日々が来ると教えておられます(マタイ24:3以下)。これは、終末の日と聞いていいでしょう。

 今、その日が近づいているようです。そのタイム・テーブルに数えられる大震災など天変地異が、世界中で激しくなっています。地球温暖化、それは、人類が積み重ねて来た独善の近代化が引き起こした天変地異と言えましょう。国や民族や部族の争いが激化し、戦争が勃発するのではないかと、世界各国は軍備拡大に狂奔し始めています。貧富の拡大・格差は全世界の悩みの種となり、犯罪が急激に拡大しています。不法がはびこるので愛が冷えて行く(マタイ24:12)と、宇宙船地球号の営みは多くの問題を抱え、平和が失われようとしています。世界規模の経済不安やイスラム国の台頭などの社会問題、そのどれ一つにも希望が見えて来ません。終末に起こると言われるさまざまな兆候が、今、吹き出しているではないでしょうか。しかも、その苦難の時は、今始まったばかりで、これからもっとその激しさを増して行くであろうと思われます。

 しかし、終末は、苦難と絶望の日ばかりではありません。救い主イエスさまが聖徒たちのために場所を備えて迎えに来られる日でもあると約束されているのです。キリスト者にとって、こんなにも鮮明になり始めた終末の日々は、イエスさまにお会いすることが出来る時を待ち望む日々でもあるのです。イエスさまとともに憩う御国に、信仰の思いを馳せたいではありませんか! ヨハネが幻のうちに見た光景は、私たちを迎えるための輝きであって、その輝きを私たちも共有することが出来るのだと、救い主とともにある永遠の平安への想像をかきたててみてはいかがでしょうか。輝く碧玉のスポットライトを浴びながら、その御国に凱旋して行くさまを! しかし、「イエスさまを待つ」これには、私たちが、今、どこに立ってイエスさまを待とうとするのか、それが問われていると聞かなければなりません。イエスさまを信じる信仰に堅く立って、私たちを迎えに来られるイエスさまを、喜びつつ、期待しつつ待とうではありませんか。